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不登校の娘が教えてくれたこと

小学校2年生の夏休み明け。

「学校に行きたくない」

と言い出した娘。

とりあえず学校に連れて行くものの、お腹がいたい、頭がいたい、気持ちが悪いと早退する日ばかりになりました。

そこまで深く考えず、いつも行っている小児科に行くと

「お母さん、娘さんは学校に行ける状態ではないですよ。学校は休ませてください」

と告げられました。

崖から突き落とされた気分に陥り、全く出口の見えない真っ暗なトンネルに入ってしまった気がして涙が止まりません。

そこから私と娘の不登校生活が始まったのですが、その生活の中で私の考え方がどんどん変化してきたので、共有したいと思います。

みんなと一緒じゃなくても大丈夫

娘が不登校になる前の私は、【普通】であることをとても重視していたように思います。

人並みに勉強もできて、人並みに友達もいて、みんなが行っている学校には当たり前に通わなければいけない

まわりの目を気にしてしまう私は、道からそれることをとても恐れましたし、まわりからの評価に重点をおいていました。

そのため、過剰に迷惑をかけてはいけないと思ってしまい、子供たちにもよく怒る日々。。。

でも、この環境になって思うことは、普通って何なんだろう?ということ。

今の娘は、学校の勉強も遅れていますし、学校に行っていないことでまわりと差がついていることはたくさんあると思います。

普通から大きく外れてしまった娘ですが、毎日大好きなレジンやシーリングワックス、料理を楽しんでいる姿を見ていると、それも一つの生き方じゃないかとさえ思えてきました。

みんなと一緒じゃなくても大丈夫

人それぞれのペースで、まわりと比べず生きていけたらいいんです。

苦手をがんばるより得意を伸ばす方がよい

娘は枠の中に字を書くことがとても苦手です。

宿題で出される漢字ドリルなんて時間はかかるし、上手に書けないしで本当に大変。

当時の私は全く理解ができずに、きちんと書けるまで頑張らせていました。

それでも、もちろん返却された漢字ドリルにはバツばかり。

娘の自己肯定感はどんどんすり減っていたことでしょう。。

その反面、図工は得意で、物作りや絵を書くことには集中して何時間でも費やします。

出来ることよりも、出来ないことに目がいってしまうのは何故なんでしょうか。

図工よりも、苦手な漢字を頑張らせないと。。。

上手に漢字が書けないと本人が困ってしまう。

と本気で思っていました。

でも、この環境になって思うことは、苦手は苦手でいいということ。

苦手なことをひたすら頑張って自己肯定感が下ってしまうのであれば、得意を伸ばして自信をつける方がよっぽど有意義です。

社会に出ると、得意なことばかりではやっていけないと言われてしまいそうですが、、、

自己肯定感がどん底までおちてしまった娘を見た私からすれば、得意なことを伸ばしてまずは自分を好きになってほしい。

今の私は心からそう思います。

しんどくなったら離れたらいい

娘が不登校になってからは、発達検査をうけたり不登校支援の方に相談をしたりと、とにかく情報を集める日々。

結果、娘にとって学校という環境は、私が思っている以上にしんどい場所であることが分かってきました。

思い返してみれば、一年生の頃から行き渋りもあったり、鉛筆も消しゴムもボロボロ。

筆箱なんて鉛筆で塗りつぶしてひどいものでした。

身体に不調が出るまでしんどくなっていたのですから、相当苦しかったのでしょう。

娘のSOSに気づいてあげられなかったことに反省しかありません。

「学校に行かなくていいよ」

と伝えたとき、とても安心した顔になった娘を覚えています。

しんどくなったらその場から離れたらいい。

逃げたっていい。

きっと自分に合う居場所はどこかにあるよ。

今の私は、そう伝えています。

ただ、娘はまた学校に行けるようになりたいみたいです。

今は学校に行けないけれど、行けるようになったらまた頑張ればいい。

何回でもやり直したらいいですよね。

結局は自分で決めるしかない

不登校初期の頃、私はあの手この手で学校に行かせるように頑張りました。

娘のことを思ってというよりは、きっと私自身が不安で押しつぶされそうになってたのです。

しかし、案の定全くうまくいかない。。。。

どうしたらよいのか分からない日々が続き、今から思うとこの時期が一番しんどかったと思います。

そんな私をみて、不登校支援の方が

「お母さん、学校に行くのも、勉強するのも決めるのは娘さんだよ。お母さんじゃない」

とアドバイスをいただきました。

その言葉を自分の中に落とし込むのに時間がかかりましたが、今の私は理解できます。

そうですよね。

娘の問題なのに、私の不安や【こうあるべきだ】という価値観を混ぜて考えていました。

結局は、本人が決めるしかない。

他人がどうにか動かして一時的に動いたとしても、きっとそれはすぐに崩れてしまうのです。

他人を変えることなんてできないのに、必死で動いて空回って。。。

そんな日々に疲れたので、私が変わることにしました。

結局は本人が決めるしかない。とことん見守ろう。動き出したら全力でサポートしてあげよう

そう思うようにしたのも、私が自分で決めた選択です。

自分で決めたから腹落ちして動ける。

結局は自分で決めるしかないのです。

まとめ

娘が不登校になってから、様々な感情が私を襲いました。

今もそうです。

ただ、不登校と向き合うことで私の凝り固まった考えが少しずつ柔らかくなって、以前より生きやすくなった気がします。

先のことを不安に思って悲観的になるより、今できることを頑張ろう!

そうすれば、ゆっくりながらでも前に進める。

娘のペースで、そして私のペースで

まわりよりはゆっくりかもしれませんが、少しずつ前に進んでいきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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