「ありがとう」と「どういたしまして」――息子が教えてくれた、忘れかけていた言葉の温かさ
日々、息子と過ごしていると、ふと立ち止まる瞬間があります。
「ありがとう」や「ごめんなさい」。子どもの頃、当たり前のように教えられてきた言葉。でも、大人になると忙しさや気恥ずかしさから、ちゃんと言えていない時がある。
ある日、息子と一緒に夕食の準備をしていたときのことです。お手伝いをしたがる息子は、食器をテーブルまで運んでくれました。その小さな手に、なんとも言えない愛おしさがこみあげて、思わず言いました。
「ありがとう、助かったよ。」
すると息子は少し照れたように、でも嬉しそうに言い返してきました。
「どういたしまして!」
その瞬間、私はハッとしました。「どういたしまして」――私自身、最後にこの言葉を口にしたのはいつだろう。人から感謝されることがあっても、「いえいえ」「大丈夫ですよ」なんて言葉で流してしまっている気がする。
「どういたしまして」って、本当はとても優しくて温かい言葉です。感謝を受け取って、相手にもう一度安心感や思いやりを返す、そんな言葉なのに。
息子は、私が「ありがとう」と言うと、毎回必ず「どういたしまして」と言ってくれます。まるで一つの儀式のように。おもちゃを片付けてくれた時、お風呂の後にタオルを取ってくれた時。私が「ありがとう」と言えば、息子の中で「どういたしまして」は自然にセットで出てくる言葉なんです。
そのやりとりは、いつも私の心を温かくしてくれる。そして、思い出すのです。言葉の一つひとつに心を込める大切さを。
子どもの頃は、家や学校で「ありがとうはちゃんと言いましょう」「ごめんなさいが言える子になりましょう」と繰り返し教えられました。そのシンプルな教えが、今の私たちを作っていると言っても過言ではありません。
でも、大人になるとどうでしょう。忙しい毎日で「ありがとう」や「ごめんなさい」をつい飲み込んでしまったり、当たり前のように人の好意を受け取ってしまったり。そうしていつの間にか「どういたしまして」も遠くなってしまう。
それが、息子と接する時間の中で少しずつ思い出されるのです。息子の素直な言葉が、忘れかけていた大切なことをそっと教えてくれる。
人生は、小学校で習ったことの応用でできているのかもしれません。「ありがとう」「ごめんなさい」、そして「どういたしまして」。簡単な言葉だけれど、そこに込める気持ちはいつだって深くて、大切なものです。
夕飯を食べ終わった後、食器を片付ける私の横で、息子がぽつりと一言。
「お母さん、いつもご飯作ってくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
その言葉を口にした瞬間、胸の中に小さな灯がともるのを感じました。
毎日が慌ただしくて、心の余裕を忘れそうになる日もあります。でも、言葉に気持ちを乗せることは、そんな日常に小さな温かさを届けてくれます。
息子が教えてくれたこと――それは「言葉にすること」。ちゃんと相手に伝えること。それだけで、人と人の間には優しさが流れるのです。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
これからも、息子と一緒に、当たり前の言葉を大切にしていきたい。そう思った出来事でした。