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素敵だな

最近、「素敵だな」とか「きれいだな」思ってモノを買うことが、とても豊かなことだという気がしている。

日常生活において必要なもの、たとえばティッシュ、生理用品、コピー用紙、ゴミ袋 etc それらを「素敵だな」と思って購入することはない。
価格とクオリティとを秤にかけてカートに入れる、ただそれだけだ。

たとえば、文具、コスメ、アクセサリーや服などは、価格とデザインのバランスを、自分の塩梅で決められる。
書き心地が良さそうで表紙デザインが素敵な800円のノートと、紙質があまり良くない100円のノート、計算された色合いや蓋を閉めるときの音まで試行錯誤重ねて作られた6,000円のアイシャドウパレットと、ハイブランドの色や並び方を真似して作られた500円のアイシャドウパレット、それぞれ予算や価値観に沿って選ばれるだろう。

私は一般庶民だし、健常者のようには稼げないから、たとえルノワールの絵画が欲しくても、ハリーウィンストンのリングが欲しくても、分割払いでさえ無理だ。
ケリーバッグが欲しかったとして、いったいどれくらいの期間で払い切れるのか、それ以前に週1回の外出では贅沢にも程がある。
(そして、そういうものを誰かに買ってもらいたいとは思わない)


そういう高級品ではなくて、ノートならノート、コスメならコスメ、何でもよい、「これでいいや」ではなくて、買った瞬間からずっとワクワクし続けられるモノ、手にとる度に気分が上がるものを手にしたい、そしてそれを意識的に実行しようと思う。

この点、母は「時計は高級だろうがそうでなかろうが時間は同じ」と言うし、「100円の皿も1万円の皿も味は同じ」と言う。
戦後、今日生きられればいいという厳しい環境で育ったせいか、気分良く暮らすということを知らずに育ったのだろう。


もちろん、いくら素敵だと思っても、800円のノートを買ってしまったら今日食べるのに困る、家賃が払えなくなるという人は100円の方が選ぶしかないのだが、もしも生活に支障がないのなら、金額ではなく素敵だと思う方を買った方が心が豊かになると思う。
もし買えないとしても、きれいなモノや素敵なモノを見るのはとても大事で、初めからそういったモノを「買えないから」という理由で排除してしまうのは、とてももったいない。

1日を気分を良く過ごすこと、心を豊かに過ごすことの重要性を、この頃ヒシヒシと感じるのだ。

そして、素敵なものを「素敵だ」と感じる気持ちを失いたくはない。

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