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どんな障害でも生きていくのは大変だよね
目薬を買おうとドラッグストアに行くと、手前には大量の花粉症用の目薬が並べられていた。私は陳列棚の奥に進み、かすみ目用の目薬を探してみたが、あまりにもたくさんの種類が売られているため、薬剤師さんを呼んでいくつかピックアップしていただいたうちの一つ購入した。
この時期、ドライアイがひどい。夕方を待たずに目がかすんできてよく見えなくなる。パソコンで仕事をしたり、noteの執筆をしたり、その他多くの事をパソコンで行っているので大変に困っている。
最近某テレビ局でACの広告がよく流れており、その中の一つに「アイフレイル」をテーマにしたものがある。カエルたちが可愛らしく「疲れ目、しょぼしょぼ、夕方見づらい」と歌っている。こんな症状があれば病気が隠れている場合もあるので、眼科に行こうというものだ。どれも当てはまってしまうが、外出した日は目がかすむということはなかったので、やはり室内環境が問題だと思われる。しかし、我が家の状況的に環境を改善することは難しいので、乾燥の季節が終わるまで何とか凌がなければならない。
かすみ目で目の前がよく見えなくなるととても不便だ。視覚障害で常に見えにくいという人たちはこういう世界に住んでいるのかと改めて思わされる。
ある年配女性のこと思い出した。
出先で時間待ちをしていると向こうの方から白杖持った年配女性がやってきて、ヘルパーさんと私に声をかけてきた。見えないわけではなさそうだ。「車いすで大変ね」という話から、自分のことについて語り始めた。何があったかは知らないが、途中から目が見えにくくなってきて、外出も困難だし、テレビを楽しむことも難しいという。そして彼女はこう言った。
「目が不自由なのと体が不自由なの、どちらが大変かしら」
彼女はもちろん「目が不自由な方」と答えることを期待している。しかし、私はその人におもねって自分の気持ちに反することは言えなかった。少し考えた後「どちらも大変ですよ、どちらとは言えない」と答えた。彼女は不満そうな顔をして歩いて行った。
出来ることと出来ないことに違いがあっても、サポートの仕方が違っても、意思疎通ができるかどうかでもなく、世の中は障害のない人用に作られており、障害のある人にとっては毎日がサバイバルだ。
私にしてみたら、「目が見えなくても自分でお手洗いに行けて良いですね」と思うし、「耳が聞こえなくても一人で階段を上り下りできて良いですね」だ。視覚や聴覚に障害のある人は、私に対して「体が不自由でも、きちんと情報が入ってきて、本が読めたり音が入った映像作品を字幕なしに見たりすることができて良いですね」と思うだろう。
どこが不自由でも困難さに重いも軽いもない。
その後、あの年配女性はどうしているだろうか。
私のかすみ目は季節がすぎれば治るが、彼女の目はおそらく治ることはない。良いサポートを得て、少しでも楽しい暮らしが出来ていれば良いが。
あれから何年も経っているのに、私は度々あの女性を思い出す。
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