受験できることはありがたい
入学試験のシーズンである。
この季節に入試があるのは知ってはいても、私は入試を経験したことがないので、ニュースを見ても「ああ、そうか。そんな季節か」などと冬の風物詩ぐらいにしか思わない。
卒業した養護学校では中学部から高等部に進学する際に”にゅうし”があるが、入学試験ではなく「入学指導」である。一応の学力試験と面接があり、それなりの問題は出るが、一般的な高校入試とはレベルがまるで違う。それに入学指導だから落とされることはまずない。
大学は有名な某通信大学卒だが、そこも入学試験はなかった。
入試らしきものを経験したのは大学院進学の時が初めてだった。どんな問題が出たかは全く覚えていないが、筆記試験後日の面接では「英語ができないねぇ」と教授に言われたことを覚えている。大学院の入試で落とされる方がいるのかどうかはわからない。
こんなふうに私の人生からは入学試験が全くないので、どのぐらいプレッシャーが大きいものなのかは想像でしかない。
自分の偏差値を知らない私は、偏差値や学歴で測られる世界には存在していない。それはきっと幸せなことなのだろうと思う。しかし、一方ではそのような社会システムに組み込まれることさえできず、社会からも期待されていないかのようで寂しさも感じている。
両親の教育方針は間違ってはいなかったのだと思うが、やはり私は普通の学校で学びたかった。時代的・環境的にそれが難しかったことは理解していてもだ。
だから、受験される皆さんには、受験することができるありがたみをぜひ知ってほしいと思う。
この年齢になり、多くの人と関わるにつれて、自分もまんざらではないとやっと思えるようになった。頭のいい人には憧れはあるが、頭は良くても人間的に未熟な人も多くいる。
とにかく受験生の皆さんには頑張れという言葉を送るしかない。
受験や偏差値が全てではないが、学力はこれから生きていくための武器の1つでもある。
偏差値の高い大学に入ることだけを目標とせず、<社会>という戦いの場で生き残っていくための最初の試練として、どうか頑張ってください。
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