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無の恐怖

たまにはnoteの執筆を休もうと思い、何本か記事を書きためている。スマホの音声入力で下書きしてから、パソコンで推敲する。こうすると執筆が楽で、1日に2つぐらい記事が書けることもある。

ところが、朝記事を1つ投稿してから、その日のうちに新しい記事を書いてしまう。書きたいことが溢れて思わず書いてしまうのなら良いが、記事が足りなくなったり、書いたつもりで何も書いていない可能性が怖いのだ。
それで休みたいのに休めない。

毎日記事を投稿していなかった頃はもちろんそんな事はなかった。今は、せっかく蓄積した2年近くの連続投稿記録が、たった1日休んだだけで無になってしまうことが恐ろしい。


「無くなる」ということは、人にとってどれだけ不安にさせるのだろうか。
昨今の米不足で買い漁る人々、サンマが高かった昨年、こぞってサンマサンマと叫んでいた人たちが、今年は店頭にたくさん並んでいるせいかそれほど需要がないそうだ。
コロナ禍のマスクだって、昭和のトイレットペーパーだって、不足が報道されると我も我もと買い漁る。
日本人は、不安になりやすい遺伝子を持っていると何かの記事で読んだことがあるが、モノがなくなることへの不安は日本人だけではなく、人類の性のように思う。


母や私にも買い漁ると言うことはないが、無いとときにすぐにコンビニやスーパーに買いに走ることができないので、外出日に少し余分に買うということがある。

私の記事が在庫切れになる恐怖はこれとたいして変わらない。
たとえ1ヵ月分記事を貯めたとしても、半分くらい投稿したところで不安になるのだろう。


もともとは、無で生まれてきたのに、なければないで過ごせるものなのに、一度得てしまうと、失うことは恐ろしい。


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