アリの世界
久しぶりに「何を書こうかな」とパソコンの前でボンヤリしている。
海の向こうでは1年以上戦争が続き、別の場所でも戦争が勃発している。
礼儀正しく勤勉だと言われる日本人の退廃ぶりが目につく。的を得ていない制度を作り、物価高に疲弊し、人々の心が荒み、弱い者が虐げられている。
もしも、世界各国の首脳がすべて女性だったらどうだろう。
もしも、世界各国の首脳がすべて障害者だったらどうだろう。
やはり武力による戦争は起きるのだろうか。
それでも差別や偏見はあるのだろうか。
おそらく答えはYESなのだろう。
どんな集団においても虐めはある。それが度を越えた犯罪になり、形を変えて戦争になっていく。
誰かにとっての悪が誰かにとっての正義である限り、人間はどんな体制、どんな集団を作っても同じことを繰り返すのではないかと思える。
その集団の一員である私とて、差別や偏見に遭いながら、私もまた誰かを差別したり偏った目で見ているのだ。
アリの動画を観た。
トカゲの遺骸を多くのアリたちが運んでいる。
アリというものは、自分たちより獲物は分解して一匹一匹がチマチマと運ぶものだと思いきや、そのアリたちはトカゲを分解することなく運んでいる。途中から別のアリも参加して鉢植えの中の巣まで引きずっていこうとしている。
鉢植えは大きく、フチがカーブしていてネズミ返しのようになっているため、持ち上げるのに失敗しては体勢を整えなおし、再びチャレンジすることを2~3回繰り返し、とうとうネズミ返しを克服して鉢植えの中に運んでいった。
そこから先、巣に持ち運ぶには分解するのだろう。
アリの集団には、「働きアリの法則」というものがある。
アリをどんな集団に分けても、働くアリと働かないアリが一定の割合に分かれてしまう。
一生働かないアリもいるかもしれない。
それでは不平等だから働くのを止めたなどいうアリはもちろんいない。
テリトリーや餌をめぐって、異なる集団同士での争いはあるだろう。他の種類の昆虫との争いももちろんある。
アリにだって損得勘定や、相手を欺く行動や、気に入らない仲間への虐めもあるのかもしれない。
それでもきっと、人間界に比べたらずっとシンプル生きている。
正義であるとか、悪であるとか、それを見て見ぬふりするだとか、過去への報復だとか、そんなもっともらしい大義名分というものがアリにはない。
シンプルに、生きるため、日々戦いを繰り返している。
人間が愚かでアリの方が高等だなどと言うつもりはない。
ただ、ボンヤリとパソコンの前で、アリと人間はいったい何が違うのだろうと思った。