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「この仕事面倒くさい」と思ったときは

ずいぶんと前のこと、交際していた男性がこんなことを言った。

仕事というのはね、誰かが面倒だから代わりにしてあげるものなんだよ

どういう経緯でその話になったのか、もうすっかり覚えていないが、それ以来、私はこの言葉に支えられている。

フリーランスで、特に有名でも、特に優れた技術やセンスがあるわけでもない私のところには、根気のいる細かい作業や面倒な作業の依頼が比較的多い。おまけに工夫を凝らしても時間がかかるものも少なくはない。
作業していて、めんどくさいと思う事は多々ある。
しかし、そんな時に彼の言った言葉を思い出すと、頭の中から面倒くさいと言うフレーズが消える。
細かくて、面倒くさくて、時間がかかって、おまけに利益なんてさほど出ない仕事でも、コツコツ積み重ねることで、ありがたいことにこんな私にもお客様がいてくださる。


ところが世の中はそういうわけではないみたいだ。面倒くさいことはやらない、面倒くさい仕事は誰かから押し付けられるもの、そんな気持ちで働いている人が結構いるような気がしている。
仕事はありがたくないもの、面倒くさいもの、押し付けられるもの…1日のうち誰かが必ず仕事について愚痴をこぼしている。
特に最近は、社会や誰かのために自分が役立っているかどうかではなく、単純に自分の生活を維持するためのものと考えられているのだろうか。もしそうだとすれば、仕事はできればしたくないもの、ありがたくないものだし、面倒くさい仕事ほどしたくはない。簡単な作業でできるだけ多くの利益を得た方が得だとなってしまう。


障害があっても、なお社会参加させていただけることをありがたいと思うし、仕事をくださる方々には、私を指名してくださって大変感謝をしている。仕事をさせてくださってとてもありがたい。
私は日ごろから人のお世話になるばかりだが、反対に私が社会に還元することができる、人の役に立つことができると言うことを実感するのが仕事である。
今の世の中の考え方からすると、この考えは少し時代遅れかもしれない。もう一生懸命仕事をする時代ではなく、適当に働いて私生活を充実させる、面倒くさいことは誰かにさせたり、AIやロボットにさせる方が効率的だという方が当たり前なのかもしれない。


しかし、社会や誰かの役に立つと思えることは、自分の存在意義だったり、自分を大切にすることと同じくらいに大事なことだと思っている。
だから、今日も誰かの面倒くさいを私が引き受ける。

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