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【ショートショート】夕暮れの図書室
図書室の本棚の前で、私は立ち止まっていた。もう五月も終わりで、窓から差す光が本棚に長い影を落としてる。この一週間、放課後の図書室で中井くんと話すようになって、この時間が特別な気がしてた。
『星の航路』を胸に抱えたまま、昨日のことを思い出す。「僕、この本すごく好きなんだ」って、中井くんが目を輝かせながら話してくれたの。
「あ、日野さん」
後ろから聞き慣れた声がして、振り返る。中井くんが立ってた。いつもと少し様子が違う。
「もう読んだ?」
「うん」少しだけ声が弾む。「昨日、夢中になっちゃって」
「そう?」中井くんの声が明るくなる。「よかった。面白かったなら」
この一週間、少しずつ距離が縮まってきたはずなのに。今日は何か様子が違う。私も、心臓がバクバクする。
「特に最後のところが」本を開きながら、「すごく考えさせられて」
「主人公の選択?」中井くんが一歩近づく。真剣な眼差しに、どきっとする。
「うん。自分の気持ちに正直になるの、きっと怖かったはずなのに」言葉が自然に出てくる。「でも、前に進もうとする姿が、すごく眩しくて」
「日野さんは...」目が合ったまま、「どう思った?」
「なんだろう」言葉を探しながら、「自分の選んだ道を進むの、大切だなって」
中井くんが本棚に手をかけたまま、少し考え込むように俯く。「この一週間」また顔を上げて、「日野さんと本の話できて、僕...」
言葉が途切れる。でも、その言葉の終わりを聞きたくて、私は息を止めていた。
図書室の時計は五時十分を指してる。司書の先生が机の整理を始めて、残っていた生徒たちが、ぽつぽつと帰り支度を始めていた。
話しているうちに、いつの間にか、普段より距離が近かった。中井くんの手が私の手に触れる。驚いて離れるわけでもなく。隣の本棚では図書委員の子が本を整理している。
「あの」中井くんが本棚の影に隠れるように立ち止まる。「日野さん...」
ちょうどそのとき、図書室の予鈴が鳴る。閉館時間まであと十五分。私たちは少し離れる。でも、さっきまでの温もりが残ってる。中井くんは頬を赤くしたまま、制服の第二ボタンを落ち着かない様子でいじっている。
「その...」声が少し震えてる。「駅まで、一緒に帰らない?」
コクンと頷く。顔が熱い。心臓の音が自分でも聞こえそう。でも、嬉しくて。
「うん」
小さな声で答えた時、中井くんの緊張していた表情が、柔らかな笑顔に変わった。夕暮れの図書室に、いつもより優しい光が差し込んでいた。