タントラでいう「無意識」について
先日こんなことを書いた。
のりこさんから「わたしの中では、無意識と無自覚は同じではない」という鋭い(さすがなのです)コメントをいただいたので、この「無意識」の前提について、今回書いてみようと思う。
のりこさん、ありがとうございます。
一般的にわかりやすく書きたくて、「知らないこと」とか「無自覚」とかざっくり書いてしまった。
けれど、タントラの考え方として一番近いのはやはり「無意識」という言葉で、それについて語るとき大事にされているのは、 ” 繊細さ ” だ。
粒度という言葉をイメージするとわかりやすいかもしれない。
例えば、空気。
主に窒素と酸素と二酸化炭素という小さな粒でできている。
それらはさらに原子、原子核と陽子といったさらに小さな粒からなる。
世界には、空気があり、大地があり、そこには水が流れ、生物が棲む。
そのそれぞれが、小さな粒子からなる小さな世界を形成する。
感覚を研ぎ澄ませて、世界のありとあらゆるものについてそういう微細なところまでを感じ取ろうとする、それこそがタントラのいう ” 繊細さ ” である。
タントラヨガでは、その ” 繊細さ ” をもって、自分の身体を " 見る " ことが「無意識」的である自分から脱却していく。
さらにこの「見る」について補足する。
タントラではこの「見る」という行為は男性性に、逆に「在る」つまりエネルギーそのものが女性性に属する。
つまり、「無意識」というのは意識されない、つまり自分のもつ男性性が認識していない領域や範囲のことだ。
上のSundariYogaの記事でも書いたけれど、タントラには「5つの身体」という考え方がある。
わたしたちには、一般的な「肉体」の他に自分の身体が4つ「在る」。
そのそれぞれの層でわたしたちは " 現実 " を感じる、つまり自分の内側と外側を見ることができる。
たくさんの視点を持ち、世界をより深く " 繊細 " に知覚する。
それはわたしたちを豊かにする。
そんなような考え方の素地から、前回の記事を書いた。
以上、補足でした。