見出し画像

「健康で文化的な最低限度の生活」ではなく「文化的で豊かでしあわせな営み」とかでどうかな

日本人なら一度は耳にしたことがあるに違いない
「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉
社会とか政治経済とかで習ったことがあるはず
日本国憲法の第25条で定められた「生存権」を保障するものだ

でも、この言葉は罠だ
と思ったので記しておく

突然だが
わたしの母は倹約家だ

割り箸を洗って再利用
鼻をかんだティッシュも乾かして再利用
もちろんレジ袋も綺麗に畳まれて再利用される
卵に残った白身を箸でしっかりとかきだす
実家のタオルは新聞屋でもらった透けそうな10年以上前のタオル

ちなみに貧乏なわけではない
(お金持ちでもないが)
それを批判したいわけでもない
ただこういうことからの波及効果について述べる

ごはんを少しでも残そうものなら
「アフリカにはね、ごはんが食べられない子供が」
と口を酸っぱくしてごはんの有り難みを語る
それはもう10年以上も何度も何度もわたしの体に刷り込まれた

これを悪いことだ、
ということは悪だろうか

なぜ悪だと言いたいのかというと
小さなわたしは
「欲しい」
と思うことにすらずっと罪悪感を感じていて
数年前はもう欲しいと感じることすらなくなっていたからだ
毎日毎日何十回もずっと自分を罰し続けた結果だ

欲しいものがないひとに生きる意味はあるのだろうか
少なくともわたしはずっと苦しかった
たらふくのいやなことを耐えるための燃料は何もなかった
楽しみをよすがにすることは「贅沢」であり悪だった
しあわせになろうとする自分の背中をずっと後ろから引っ張るような


そもそも時代が違う、と気づこう
大人のわたしが口を挟む

大学生のころに
母の料理本のレシピでお菓子を作ろうとして
止められたことがある
「その本で作っても美味しくないから」
という母に理由を聞くと
その本は祖母から譲り受けたそうで
戦後まもなくまだ日本に物資がないころに発行されたもの
手に入りづらい砂糖やバターなどが極端に少なく記載されているらしい
「だから何度作っても自分は料理下手なんだと思ってた」らしい
シミだらけになったその本は今も実家の本棚にある

母の頭もこれと変わらない
戦後まもなくの貧しい生活から得た価値観を
子供の頃に
何度も何度も祖母から刷り込まれているから
戦後にはまだ生まれていなかった母の脳内に
こうして戦後が生き続ける

さらにその価値観はアップデートされないままに
今もわたしの脳内に居座っている
不幸というものの熱量はなぜこんなに高いんだろう
一定の温度を保ったまま冷めにくい

アフリカで飢えお腹がぽんぽんに膨らんだこどもの写真を
繰り返し繰り返し見させられたわたしが想像する
「健康で文化的な最低限度の生活」とはどのようなものか

というものを考えてみたときに
自分の中のラインが著しく低いことに気づいた

・夏はTシャツとGパン(デニムとは書かない)
・冬はトレーナーとGパン
・ユニ◯ロは高いという感覚
・食品の買い物は折り込みチラシを比較した中の一番安いスーパーで購入
・野菜はもやし一択
・牛肉は月一回以下
・公営住宅居住

こんなイメージなのだけれど
他の方の脳内はどうなんだろう
なんか昭和のにおいがしてきた

贅沢は悪
そう刷り込まれたわたしは
このイメージを少しでも上回る生活をしているのであれば
「ありがたく思わなければいけない」し
少なくとも「家族が生活できていれば感謝」しなくてはならない

けれど
実際のところは
生活保護を受けているからイコール貧乏というのは決めつけだ
だって働かないひとには時間があり
お金がもらえるのだとしたら
最低賃金で働くひとより余裕があり豊かであるかもしれない
実家の母は
わたしの脳内にこんなことが刷り込まれていることなんてつゆ知らず
今半で購入した牛肉ですき焼きを振る舞ってくれたりもする

つまりわたしの中の基準は実情に合っていないし
健康で文化的な最低限度の生活
という考え方が提示されたのは昭和25年のことらしい

思い込みというのは
刷り込まれた以上に
脳内再生される回数分強化され暴走するのだ

「健康で文化的な最低限度の生活」という言葉はよくない
「文化的で豊かでしあわせな営み」に変えてみる

最低限着るものがあればいい
ではなく
自分の好きな色の服を選んで買える
とか

食べられるものなら何でもいい
ではなく
たまにでも一番食べたいものを食べる
とか

暮らせるお金さえあればどんな仕事でもいい
ではなく
自分の仕事が誰かをしあわせにするんだって実感できる
とか

ピンポイントでもいい
湧きあがる欲に妥協しないで生きる
全部でなくてもいいから
それくらい令和の時代はみんなできるような社会にできるでしょ

わたしはこどもたちに
そういう未来をあげたいよ

言葉は刷り込みだから
娘たちには「文化的で豊かでしあわせな営み」って言おうと思う

「衣食住を満たす」
という言葉にはダブル人の数だけミーニングがあるんだと
令和に生きる昭和生まれのわたしは今考えているけど
それは本当は当たり前のことだ

こういうメッセージが降りてきたのは
令和の日本は貧しいということなんだろうか

いいなと思ったら応援しよう!