人はみな自分以外になることはできない
以前、自分の中の不純物について書いた。
では、不純物とは何なのか。
このとき、母親が自分の中にいると書いたけれど、それはただの象徴に過ぎない。
広義的にかつ端的にいうと、「躾」で身につける後天的なものつまり社会性のことだ。
「ちゃんと」「人並みに」生きようとするとき必要になる。
スピリチュアルでいう「エゴ」のことで、自分の中の思考を司る部分でもあるし、男性性ともいえる。
これが自分の中で強くなりすぎて、元から自分であったかのように振る舞い、いつの間にか元々の自分に勝ってしまう。
それは、ありのままで生きられない家に生まれた子どもの中で起こる。
「ありのままで生きられない家」
我が家の場合、それはやりたいことが何ひとつできないということで、家の中が軍隊風というか独裁国家的というかカルト宗教気味ということだ。
将来の夢なら、アイドルと言えば責められ、お医者さんだと褒められる。
そんな風に子どもの無邪気な発言のひとつひとつに母の検閲が通る。
特に贅沢は悪で、外出で「のどが渇いた」と言えば「あんたはいつもそう」といやな顔をされた。(大人のペースであれだけ歩けば喉も渇くよ…)
マックのハッピーセットのようなおもちゃ付きのものも「無駄」だからと一度も買ってもらえなかった。
買ってもらえるお菓子も、母の許したものだけだった。
一度、母と友達とわたしの3人で入ったドーナツ屋さんで、友達は自分で選んだドーナツにかぶりつく横で、わたしは母の選んだドーナツを食べた。
あの悲しみは今でも忘れられない。
こんな風に何年もの間、朝から晩まで好きなものを否定され続けると何が起こるかというと、自分の中身が何にもなくなってしまうのだ。
わたしは、今でも「何が好き?」と聞かれるのが一番苦手だ。
特に下の娘に「ママが一番好きな食べ物は?」と聞かれると泣きたくなる。
この子には好きな食べ物があってよかった、とホッとするのだ。
そして、答えるのがワンテンポ遅れてしまう。
思いついた答えが、目の前のひとの意向に沿うものかを考えてしまうから。
つまり、物心ついた頃からずっと、嘘をついてきたということになる。
漫画が好きだと言えないから、いつも隠していた。
わたしの中のわたしは、いつも見せられるものではなかった。
何を言っても、何をしていても、自分を恥ずかしいと思うようになった。
そして、大人になったわたしは、外側から入ってきた何かに自分をすっかり明け渡してしまっていた。
20数年前のあのときは、その限界だったのだと思う。
元々の自分が内側の自分じゃない自分たちに反旗を翻した瞬間だった。
今思えば、あれはわたしがわたしを取り戻す一度目のチャンスだったけれど、当時は「なんでわたしだけが」そう思っていた。
襲ってくる胃の痛み、起きられない朝、喉から消えない違和感、そんな風にストライキをすることで、外から来たわたしが必死で築き上げた目の前の社会をめちゃくちゃにした。
わたしとわたしの戦いだった。
外から来たわたしはそれでも必死で抵抗を続けた。
周囲から休めと言われても、仕事に縋りついて働き続けた。
怖かったのだ。
そのころには、もう気づいていた。
自分の中に何もないこと、そしてそれが致命傷であること。
カウンセリングで、先生が言った。
「朝から晩までひとつひとつ選んでみて。
朝食べたいものを食べて、食べたくないときは食べないで。
自分の声をひとつひとつ聞いてみて。」
正しい。
みんなそういうだろう。
でも、当時のわたしには、それすらも難しくてできなかった。
「おいしい」とか「楽しい」とかそういう感覚すら失っていて、カウンセラーの先生にそう言われる自分が悲しくて悲しくてたまらなかった。
1を100にすることは、努力でできる。
でも、0を1にすることは、難しい。
今でも、そういう感情が麻痺したような自分は残っている。
そういうとき、娘たちをみて学ぶ。
そうか、こういう時はこんな風に喜べばいいのか、とホッとするのだ。
人はみな、自分以外の何者にもなることはできない。
あのときの何も入っていない空っぽのわたしも、わたしなのだと今は思う。
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続きます。