やったことがないのになにがわかるんだというのは卑怯

「お前はやったことがないのになにがわかるんだ」とかは強力な否定の文言として存在する。そもそも自分がやれる範囲なんて限られていて、一人の人間の経験なんてたかがしれている。経験の質×経験時間によって経験は決まってくるが、経験時間は人々の寿命によって決まるため、あまりコントロールできない。だから、経験の質をコントロールするしかないが経験の質なんて他人のものさしできまる。部屋で一日ネットフリックスを見ている人と、ドバイに行ってスカイダイビングをして有名人と食事をしたりしている人ではネットフリックスを見ている人のほうが主観的幸福度が高かったとしても、一般的にはドバイのほうがいい経験をしていると他人のものさしで測られる。また、ネットフリックスを見ている人は、ドバイに行く機会を損失していてドバイに行っている人は部屋で一日中ネットフリックスを見る機会を損失しているから、両方を同時にこなすことができない。それは職業にもいえる極端な話、野球選手と大統領と物理学者の経験を一度の人生でこなすのは難しいだろう。だから、やったことのないことのほうが多いに決まっている。しかし、大統領や物理学者は歴史を変え、人々の生活を変えうる。大統領は政策を変え市場のバランスを変えることができるし、物理学者は新しい理論を唱え、かつてないテクノロジーを生み出す。

そうするとそのやり方によっては一般市民にとって利害が生じる。

それは、他の職種にもあてはまるだろうから自分がやったことのないことに対して言及できず、実行者がやりたい放題して、自分の生活に支障が出たら困るのだ。

だから、やったことのないことに対してもあれこれ言及させてほしい。

そして経験者は、それに対して論理的に話して納得させてほしい。

やったことがないのになにがわかるんだとか言うのは卑怯です。



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