思考停止ワードとうまく付き合う方法
思考停止ワードは便利
思考停止ワード(例えば、当たり前とか人によって違うとか)というと一般的に悪いイメージがあると思う。成長を妨げるとかよく考えられてないとか。しかしながら、思考停止ワードを使うのが便利な場面があると私は考える。まず、話すのがめんどくさいときとか結論をごまかしたいときだ。嫌な相手とか興味のない話題について口論するのは面倒くさい。例えば、人によって違うとか当たり前だーとかそういう言葉を使うと話があまり進まなくなる。次に軽く共感を得たい時だ。いちいち当たり前とは何かとか人によって違うっていうけど本当なのかと問うのはめんどくさい。だから、当たり前だとみんなが思っていることは当たり前だよねと言っておけばいい。
これ以外にも思考停止ワードは使う場面は多々あるだろう。だから、人は思考停止ワードを使う。科学的にも人の意思決定や思考には制約があるといわれているから省エネになる上、ヒューリスティックといった直感でいち早く判断するというのが人間にとって進化してきた要因であるともいわれている。
だから、一概に思考停止ワードを使うのは悪くはない。思考停止ワードは使わない方がいいという結論にすぐに行ってしまうこと自体が思考停止なのかもしれないし。
思考停止にならないために
ただ、思考停止ワードをどの場面にも使ってしまうとわかっているつもりになってしまうことは事実だ。だから思考停止ワードについて思考を深める必要があるだろう。
今回の投稿では、私が考える「当たり前」、「人によって違う」の二つの思考停止ワードに対して思考を深めよう。まずは、当たり前についてだ。当たり前は、その物事の成立要因について一切考えないようにしてしまったり、一般化させてしまうものだ。それを知ったうえで話の前提にしたい場合などは当たり前というワードは使っても大丈夫だとは思う。だが、知らなかったらただの思い込みになる。
例えば、お金がなければ生きていけないのは当たり前だということについて考えよう。
確かにそうだなーとなってしまうと思考停止である。しかし、二つの問いをかけてみる「いつからそうなのか」「どの場合そうなのか」。この問いを投げた瞬間思考は進む。そして、そもそもお金ってなんだっけとか当たり前って何なんだろうなという問いも副次的に出てくるはずだ。お金を日本銀行が発行した日本円だとすれば、日銀が設立された時からそうなるだろうし、市場経済があるならそれは成立するけど、自給自足とか物々交換をすればお金はいらないなという発想になる。だから、まず当たり前だという発言が出てきて、自分が思考停止したくなければ、「いつからそうなのか」「どの場合そうなのか」と問うてみよう。
次に、人によって違うという思考停止ワードについて考えてみよう。
人によって違うは、物事に対する判断をあきらめたのと同然で意味のもたいない発言である。ただ、結論を出さずにごまかしたいときには使える。
例えば、お金の使い方は人それぞれだよね。だから、お金の使い方に良いも悪いもないよね。というセリフに対して考えてみよう。
確かにそうだなーとなってしまっては思考停止である。これに対しては具体的な個人を設定し一般化して分解するというのが良い。例えば、40歳でギャンブル中毒の人がパチンコにお金を使うと考えてみよう。それはよくないと思うのではないだろうか。それを良くないと仮に結論づけたとすれば、最初に行っていたお金の使い方に良いも悪いもないという部分と矛盾する。では、これを一般化するとどうなるだろうか。世の中の人を依存症を抱えている人と抱えていない人に分けてみると、依存症を抱えていないのであれば、お金は自由に使っていいが、依存症をかかえているのであれば依存しているものにお金を使うべきでないという結論を導かれるだろう。この結論は、お金の使い方はそれぞれだよねという文章意味のあるものになったのでないだろうか。
しかし、このやり方を繰り返したとしても厳密に良い、悪いを分けられるわけではない。分解には限界がある。ただ、具体的に分解すればするほど意味のある文章になっていくと考えられる。
今回は思考停止ワード「当たり前」と「人によって違う」を取り上げた。前者はいつからそうなのか、どの場合そうなのかという問いによって後者は具体的な個人を想定し一般化して分解することで思考停止から解かれる。ただ、前者は、軽く共感を得たいとき、後者は結論をごまかしたいときに便利である。だから、これらのワードを使う人を一方的に思考停止状態で否定するのはやめ、自分も思考停止ワードとうまく付き合おうというマインドを持とう。
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