だって好きなものはスキだから
いつの時代だって好きには勝てないと思うの。僕らが知りたいのは性能や値段にややこしい価値をずらっと並べた御託じゃないんだ。もっとシンプルなもの。キレイな言葉じゃなくていい。ただ好きを語ればいい。熱さでいい。不器用でいい。心から出てくるものを素直に表現されたものに感動したい。
そんなものが、そんなことであるから
すっと時代を超えていくから不思議なんだよね。僕は日常の小さな暮らしの中で気づく、見過ごしてしまいそうな小さな出来事を丁寧に拾える自分でありたいなと思うんです。
何から語ろうかな
普段着のこと。部屋着を上質にしてみたんだけど、そうしたら気持ちが変わってきたの。ニューノーマルとか生活様式とかってことにしたくないのだけど、変えてみたんだ。画面に映らないところをちゃんとしたくって。
映らなくったってちゃんとしたくってさ
日本の美意識に近いのかな。見えないところに気を配ることでちょっとだけ美しくなれるんだよね。恰好がよくなったわけじゃないの。心が整っていく感覚。そうそう、靴下にまで気をつかうのと似てる。普段見えないのだけど、靴脱いだ時に上質なものを身につけている人を見ると、立派だなって思っちゃう。ハンカチもそう。眼鏡も時計もそうだね。見えないと言えば男の人ならベルトかな。
靴下とハンカチとベルトに品が出るよね
ここは手を抜けないな。高級ブランドなんか必要ない。人任せにせず(ブランドに頼らず)品だ定めを自分自身でするというのが大切なんだと思う。あなたが選びきったものが、最高の価値なんだと思うのです。贈り物もそう。何が喜ばれるか頭を悩ませたことが、貰った方とすれば嬉しいよね。そこに幸せを感じられる自分で在りたい。
偏愛であること
何かを大切にできること。それを強烈に好きでいられること。素敵だと思う。僕にも多くはないけどある。それを言葉のSNSのこのnoteで伝えていきたい。好きという熱量が新しい時代へ導くと信じてるんだ。少しでも共感いただけたら幸せだなぁ…。
ここまでお読みくださって
ありがとうございます
トチロー
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