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言葉にならない思いや体験を、どのように扱えばよいのか

このごろ、時おり、非常に疲労を感じることがあるのを、安良やすらは不思議に思うている。かいだるいからだを地べたにこすりつけて居る犬になって見たい心もちがする。
この気持ちを、なんといい表してよいか知らぬ彼は、叔母にさえ、聴いてもらうわけにはいかなかった。

折口信夫「口ぶえ」冒頭 p193、岩波文庫

よく晴れた頭痛のする朝、あるいは親しい人との将来の別れ…。

言葉にならない思いや体験を、どのように扱えばよいのか戸惑ったことはありませんか。今回はこのことについて書こうと思っていたのですが、ほんとに言葉にならないので困っていました。

SNS上では、前後の文脈から切り離されたワードがしばしばバズりますが、すべての思いや体験が「皆さん」向けに分かりやすく加工できるかというと、そうともいえません。むしろ「闇」に葬った部分のほうが多いことは、一人一人がよく知っていることでしょう。

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気持ちはとりわけ言葉にしにくいのです。スゴい、ヤバい、エモいなど共有できる言葉でひとくくりにする機会が多くても、共有どころか、その気持ちを認めるのも、むしろ気づくのさえむずかしいこともあります。

そんな共有できない気持ちは、あったことさえ忘れられるかもしれません。でもいずれ、別の機会に、別のかたちで現れ、ふたたび未消化の思いを残すこともあります。どうしても消化しにくい気持ち、この「コントロールできなさ」を、たとえば源氏物語では「あはれ」という言葉で扱ったのでした。

ではその気持ちは、表面に現れない間にどうしているのでしょう。
当然といえば当然ですが、かすかに・なんども絡み合いながら、「私」とともに日々を生きています。そのため、再び気づいたときには、その気持ちがどこから来たのかもはや分からなくなっているかもしれません。

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アニメにもなったマンガ「ヴィンランド・サガ」では、ケティルという男が登場します。彼は、イングランド王に目をつけられるほど大きな農場を経営していました。また奴隷となった主人公を買い取り、開墾させた土地をもって彼を自由の身としました。
一方で、若い頃に愛した娘を奪われ、そして争いで喪った経験が、彼の父の口から語られます。

そんな彼がそれほどまで農場をひろげたのは「なぜ」なのか、農場接収にまで追いつめられたとき、逃亡を図ったといわれた奴隷を瀕死にいたらすほど逆上したのは「なぜ」なのか、掘り下げられることはありません。

考えられる説明はいくつもあります。
「もう誰も、何も失いたくないから」「すべてが不条理に自分の手から奪われるから」「その奴隷が私を裏切ったから」「自由が人間にとって目指されるべきものだから」「自分はこの土地で権力を持つ者だから」「国王といえど不条理な振る舞いは許されないものだから」「過去に娘を喪った体験が私の癒しがたい傷となったから」……。

それぞれの説明が少しずつ正当な理由をもっていて、でも少しずつ矛盾しあっています。そして、どれも完全に真っ当とは思えませんし、かといって偽善とも言い難いものがあります。仮にすべての理由を一度に言えたとしても、彼がまともな状態にあるとは思えないでしょう。

いや、自分の意志の出どころって、そもそも説明できるものなのでしょうか。
同じように私たちも、自分の思いや体験を説明するどころか、知り尽くすことさえできないかもしれません。まして誰かに説明するなら、共有できる言葉や価値観でしか伝えることはできません。

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それに、思いや体験を言葉にできないのは、見えない「理由」があるからかもしれないのです。たとえば “見せられない” のも、「理由」の一つです。人前で見せてはいけない感情、誰にも教えてはならない思い、実はずっと隠されていた気持ち。

つまり言葉にできないのは、自分の思いや体験そのものではなく、むしろ背後に隠れている「理由」なのかもしれません。

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ただ、言葉にしにくいものも、ときが経てば少しずつ姿をあらわしていくことがあります。多くの経験、見聞きし・読んできた物語によって、私たちは語り方を身につけていきます。また、かつてタブーだった気持ちが、そうではなくなってくることもあります。
若い時ほど鮮烈ではないにせよ、年を重ねれば微妙の域に入り始めるのは、そういった積み重ねのせいでしょう。

私は、この辺りの言語表現につよく関心を持ち続けてきたほうです。中学生の頃から10年ほどノートを書きためていたように、ここでもまた不確かなものを残そうとしています。
いずれこれがかたちになるように、と私はこれまでも、そしてこれからも祈っているのかもしれません。

 薄霧がこめて地にしっとりと梅雨が降りていた。濡れた草のにおいが線香のにおいと似ていると思った。縁先の鉢植の前に尻を垂れて花を見てもいなかった。ただ腹の内を測っていた。おさまっているのがかえってあやうく感じられた。小児にとって夏場の死はまず腹の内にあった。熱っぽい素肌に朝じめりの涼けがつらいほどに快い。その快さがまた疫痢か何かを誘う、身の毒と戒められていた。
 やがてぽっかりと白い、あまりにもみずみずしくて刻々と腐れていくような花の輪に引きこまれた。それだけの記憶だ。

古井由吉「槿(あさがお)」冒頭、福武文庫

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