大川原化工機さんの件で思う所
こんな事は余りにも無体。報われない・・・
無茶苦茶な言い掛かりもいい所で、一般的な商業目的で機械製造品を輸出しているだけなのに、なんで兵器扱いされなければならないのか。検察側に化学や科学の正しい知見を持つ人間は果たしてどれ位いたのだろうか?物凄いトンデモな仮説だけで332日もの間、3人の人を勾留する権利が検察にはあるのだろうか?
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エンジニアリング企業ばかりが集まる合同展示会で大川原化工機の方とお話をした。その際、前職がCFDのソフトベンダーに居た私を何故か気に入って下さり、是非ともCAEの話を詳しく教えて欲しいと言う事になった。その方は顧問クラスの方。まだ40手前のへっぽこ機械設計営業マンである私に頭を下げて頼んでくれたのだ。当時私の在籍していた会社は横浜にある機械設計とかリバースエンジニアリングとかを専門でやる会社。大手自動車メーカーから直接リバースエンジニアリングを頼まれる等、技術には一定評価があった。
私はCFDを大量に販売した、と言う実績を買われてこの会社に転職した人間で、展示会は入社2ヶ月目での出来事。まだまだ機械設計・製造分野に関する営業は全然出来ていないが、それでもこの会社が自社設計・自社製造をしているという事と粉末乾燥等の領域では高い技術を持っている事も判った。そうであれば、うちみたいな小さな会社は安定した設計受託先が欲しい。自社製造・販売しているなら何かと直接のやり取りが可能。少しでも営業として設計領域に食い込む事が出来れば、と言う目論見はあって、その初動段階であれば別段昔取った杵柄を利用してセミナー形式で最初は面談を重ねた後に信頼関係として新たな案件を貰えれば、位の感覚だった。新規開拓営業とは往々にしてこんなもので、何がキッカケになるか判らない。一つの事に固執してしまうと、自然と得られる仕事量も減ってくるもの。しかし会社からは反対されました。今すぐメカ設計に関わらないのだから云々。そんな昔取った杵柄を使ってどうするんだ等。
結局私個人で同社に訪問し、CAE運用の基礎知識なるもののパワポ資料を確か20ページ近く作り若いエンジニアさんと、私にその声掛けをされた顧問の方とを相手にプレゼンをした。プレゼン後は雑談交えて色々と。皆さんとてもいい方ばかりで、また熱心だった。
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これが私と大川原化工機さんとの関りの総て。
当時を思い返すとまず顧問クラスの年齢的にも20歳近く上の方がへっぽこメカセールスマンに頭を下げてCAEを教えてくれ、とは普通頼まない。確か展示会の場には拘留された社長様も居た。まずこの1つの事実を取っても如何に勉強熱心な企業文化があるかが覗える。何度かやり取りしていく中で思ったのは、きっと私が雇われている会社は向いていないだろう、そこで将来的にCAEツール(粉体関係では熱流体解析をはじめ、CAEの様々なツールが必要)を扱う仲介役になって欲しかったようで、要は私に独立のチャンスを与えて下さっていたのだ。私もそれに応えたかったがまだ転職して間もない頃だったし、いずれそうなるにしても機械設計のセールスは覚えなければならないので今すぐは無理だ、と思っていた。だから薄く・長く関係性は持っておきたい。その為には会社に何と言われようが営業のフリしていくか、個人でそうした話をしに行く、と割り切る方が得策と当時考えていた。
多分顧問の方はその辺りの私の考えも読んでいただろう。だからわざわざ若手エンジニアを呼んでセミナー形式でCAE講座的な場を設けて私の事も試したのだと思う。
そこで私は個人的に・・・と前置きをした上で色々とやり取りを行った。実際思い出すとそうしたプレゼンの場はCFDを売っていた頃幾らでもあったし、楽しかった。真剣に何かを産み出す為に頑張っているエンジニアの人たちと、こちらも真剣に自分の扱うソリューションツールが絶対にその役に立つであろうと考えてちゃんと提案をする。或いは疑問にお答えする。それによって次に自分たちが何をすべきか、考える議論の場となる。こうした事を繰り返すうちに目標を共有し合いながら信頼関係を構築する事が出来る。今迄数多の企業相手にこうした形でセールスを行い、実績を積んできた。自分の中での成功パターンが見えていた。だから楽しかった。別にただツールを売る事が成功パターンではない。ソリューションセールスの幾つかの形として、何か新たな事を構築するのがここで言うゴール。企業として何かを産み出し続ける以上、終わりは無いのでこうした場を繰り返す事で、互いに成長し続けられる。その結果として売り上げや実績はついてくるもの。この1回目の場はその入り口に過ぎなかった。
大川原さんに対しては結局この1回こっきりだった。まだ触りに過ぎなかったが、私の周囲に対して理解を得られなかったのは不徳の致すところと今は考えている。もっと深く関わる事が出来ていれば、件の事に対しても何か対応出来たかも知れない。
私が長年扱っていた流体解析ツールは、粉体の解析を流体で行うのは難しいが、どちらかと言えば私が長い事扱っていたツールは熱に強いツール。同社のHPに新聞記事がリンクで貼ってあるが、その内容を読むと熱による菌の変化、がテーマの一つだった。これは得意分野の一つだった。ある特定の空間内部で一定の熱が加わる事による筐体や物体の変化を解析結果として提示する。数多行った受託解析案件でもこうしたテーマは沢山扱ってきた。菌そのものの持つ質量を持つ物体の再現、亦、その物体が風圧を始めとした加圧により生じる変化の再現は十二分に可能。例えば大腸菌の付着した粉そのものが、熱を加えられる事で何度になった時どう変化をするのか、どう乾燥・燃焼現象に移行するのか、とか。その変化をし始めるタイミングは何秒後なのか、それによってどのような知見を得られるのか、とか。
この手の事は大概の熱流体解析ツールであれば解析可能。更に私の扱っていたCFDなら実測値と比較しても大差無いデータが多分出せる。何故自信を持ってそれが言えるのか。例えばクリーンルーム内に於ける搬送装置の移動時の解析等、より難易度の高い解析を既に行っていて、解析結果が実測と差が殆ど見られない、と言う結果も00年代中盤には実績として残しており、私が扱うCFDは他の大手CFDベンダーよりも解析精度が高い、と言う評価を一定数受けていたからだ。しかもそれがたったの100万円前後で購入出来てしまう、と言う破格の解析ツールでもあった。安価だから売れる、そんな甘い世界では無いが、ハードルは下げて正しいCFDツールに触れる事が出来る唯一無二の存在だったからだ。(通常、CFDツール1ライセンス導入に掛かる費用は概ねこの3~10倍程度)
しかし、こんな事は悲しい哉、後の祭り。事件の事をニュースで知る迄私は全く知らなかったし、その後何も報じられていなかったので、332日も勾留されていただなんて、本当に知らなかった。社長さん始め、他お二方を勾留させる事も、果てはお一人、勾留期間中に他界してしまった、と言う有り得ない状況も防げたのかも知れない。
昨日、青木理氏がゲストで出ていたラジオを聴いて検察・公安等の対応は本当にこれが先進国の司法なのか?と疑問ばかりが浮かび上がった。もっと関りを深く持つべきだった、と改めてそのラジオを聴きながら後悔し、思わずSAに車を止めて、泣いてしまった。
何故関りを持てなかったのか。
それはその後私はこの機械設計の会社を退職、全く別畑の仕事に就いたから関わり合いを持てなくなってしまったからだ。
退職の理由は、当初言われていた営業としての働きが全く出来なくなっていた。前述の通り、私が何かアクションを起こそうとすると、強烈に嫌がられ、自分たちの気に入った仕事以外取り組みたくない、と言うスタンスに私も辟易としていた。最終的には営業マンの私が何故か某自動車メーカーに技術者として派遣され、不慣れな3DCADの習得を否応なしにさせられて、全くモノにならず40手間の脂の乗ったビジネスマンの筈なのにまともにCADで線が引けずに思わず本気で泣いてしまうレベルにまで追い詰められて退職した。半ば鬱状態に近かった。毎日毎日、嫌な事、苦手な事、判らない事を押し付けられ、それが出来ないで困惑し判らない事を聴こうとするも、教えて貰えない。自分で調べて解決しようとするも、出来ない。そもそも私は営業なのに、何故技術者として派遣されなければならなかったのか。白いつなぎを着て、毎日3時間掛けて朝霞迄通って。毎日毎日、理解に苦しんでいた。毎日毎日が強烈に憂鬱で、頭が全く働かなかった。そこから約1年間、私は様々な苦労を無駄に重ねた。
40手前の転職は本当に精神的にも肉体的にも経済的にもしんどい。どんどん条件は悪くなる一方。それでも当時は女房子供が居たので働かない訳にはいかず、やれる仕事は何でもやる、そう割り切って物事を考えるより他無かった。それでも毎日往復で6時間、更に何も産み出せない環境に居るよりは、遥かにマシだと思って雇用は不安定で給料もかなり下がる仕事を暫くこなした。我慢と恐怖の連続だった。
幸い、破綻寸前に今の仕事、或いはその前にご縁頂いた皆さまに支えられた結果、そうした憂き目に遭わずに済んだが一歩間違えたら今頃、私は果たして今こうして文章を書く事が出来たのか、皆目、見当すらつかない。しかし私はもう、テクニカルエンジニアリングの世界からは遥か遠い世界に今は居る。事業開発や店舗開発。それが今の私の仕事。これは新たに事業を産み出す仕事。これはこれで悩みも多いし、何より何もない所から何かを産み出す業務なので、そもそも誰にも理解して貰えない仕事である。昨日も初見の管理不動産と話をしていたが、全く話が嚙み合わず、そのまま立ち消え。こんな事は日常茶飯事。利害関係が一致しない事の方が大半だから。何度も何度も失敗を繰り返し、それでも成功を諦めずにトライするしか無くそのフロントに立つ仕事を私は行っている。
44才にもなって、何でここまで地べたを這いずり回り、泥塗れになっているんだろう、そう思いながら。それでも新たに何かを産み出す事は、とても楽しい事。地域社会の中でこれは役に立つ、と思えるような事を創り出す事はとてもいい事だし、楽しい事、そう本気で思って本気でぶつかっている。逆に44才の私でもこうした現場に立てる事はある意味幸せかも知れない。ましてや今のコロナ禍、移動すらまともに出来ないような時勢の中で、毎週様々な所に赴き知見を集め、情報を都度収集し、そこからソリューションを考える。そうした仕事が出来ているだけでも有難い。
・・・そう思って割と満足していた所で、忘れた頃に流れたラジオからの青木理氏の話。思わず様々な思いが私の中で交錯し、涙が止まらなくなってしまった。報われない。余りにも報われない。売り上げ規模で言うと10億位はどうやら下がったらしい。それに対して国家賠償請求を大川原化工機さんは行うが、5億円ちょっと。半額以下。それしか恐らく請求が現行法では出来ないからその額なのかもしれない。これとて恐らく国は値切るのか、満額で支払うのか判らない。ただ、満額で支払うとしても、それは我々の税金である事も看破出来ない事。税金使われるのが嫌、とかではなく、例の桜を見る会の一件でもそうだったが、その諸悪の根源は何なんだ、と言う点に尽きる。双方、その事で人が死んでいると言う事。それに対して、国は詫びもせず、特に相嶋氏に対する保釈請求などを却下し続けた先は命に対する責任をどう取る姿勢があるのか、全く見えない。透けて見えてくるのは、縦割りによる責任所在の不明確。誰がどう悪いのか、隠そうとする保身。それしか私には見えてこない。勿論私の眼は悪いのだと思うけど。
それと共に、自分でもひょっとしたらあれが出来たんじゃないのだろうか、これが出来たんじゃないだろうか、そうした後悔や悔恨の念がこみ上げて、思わず車をSAで止めて、涙が止まらなくなってしまった。自分が一部でも関わって来た人たちなだけに、余計その想いは強く感じられた。
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人生どこでどう変わるか、本当に判らない。今日日の世の中では、人生の「まさか」は悪い方に進んでしまう可能性が高い。厭な世の中だ。
大川原化工機の皆さまはまさに青天霹靂だったに違いない。けれどもそれは明日は我が身とも言えてしまう苦しさが今の日本にはあるし、羽子板一枚の下に落ちてしまうと、もう這い上がれない。実際、青木理氏のどうして保釈の道を選ばなかったのか、というインタビューに大川原社長が応えた話が私の心を思い切りえぐった。このまま罪を認めたらそれこそ倒産してしまうから・・・と言う現実。こうした企業事案は確かに一旦罪を認めたらそこである程度の自由は確保されるのが今の日本の司法だが、その先の事は司法では責任を持たない。一度でもそうしたレッテルが貼られてしまうと、もう日本では立ち上がる事が出来ないのだ。個人でも、企業でも。
私は様々、ここでは書いていないような事からも含めてドロップアウトをしたがそれでも立ち上がる道を選んで立ち上がり、今に至っているものの、それとてラッキーが重なっただけなのかも知れない。立ち上がる過程に於いて、何度血反吐を繰り返し、泥を啜ったか判らない。個人ですらそうなのだ。それが企業集合体になると果たしてどうなのか。倒産企業を私も見て来た事は何度もあるので、目を覆いたくなるような禍々しい事が繰り返される事だろう。
そうはならないように準備して、なんて綺麗ごとに過ぎない。それよりもそうなった時の覚悟、それを決めながら生きていくしか、今の世の中は無いような気がしてまた陰鬱な気分になっていく。それでも明日もやってくるから、明日を信じて、「まさか」を考えながら明るい未来を自分で創り出す、それしか前を向ける方法は、今の日本には無いのかもしれない。己に課せられた使命、それは何なのか、改めて今回の事で考えさせられた。