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記憶は風化する。だから残して後世に伝えていく。【出過ぎた杭は打たれずに風景と同化する】

記録も残さないと記憶に定着しない。
思い出も、勉強も、思い出の写真も、全部。


デジタルタトゥー。そういう言葉で騒いでいた人間を思い出した。

アナログでもそういうものというのは多いと思う。何をタトゥーと思うかだ。デジタルというのは第三者が勝手に上げる可能性もある。気にしたとしてもキリがないし、抑えようがない。

匿名でその人を名乗ることも不可能ではない。
が、その記録が残れば今後そういう問題が起きた時に前例があるから対処しやすいのだ。だから歴史を学ぶ必要もあると思う。

ネガティブな意味合いの方が強そうに見えるが、タトゥーだからこそ残り続けるのだ。幸せだった記憶も幸せになった時もずっと。
人間というのは歳を取る。残酷なように見えて救いでもあると思う。
成長したからこそ見える世界もあるからだ。子供の時にヤンチャしたことが大人になって救われるという事もあるとは思うのだ。

子供の時の行いが大人になった時に背中を押してくれるキッカケにもなる。
だから、全てが悪い事ばかりじゃないし、無駄な事言うのも意外と少ないのかもしれないのだ。

行動を起こさなければゼロ。失敗もなく成功もしない。

一番残酷だ。失敗して計画を練る事もなく、成功したかもしれないのに行動しなかったから何も生まない結果。後悔する事もなく、何もなく、とても残酷だと自分は思う。

成功というのは失敗の骸の上に立っている。そして、その成功もまた踏み出しながら人間は行動していく。前に進み続けるからこそ成長していくのだ。

停滞した方が事実楽だ。傷が付かないし、何も知らなければ何も起きない。
でも、それが本当に自分が満足するのかな?

ほんの少しの一歩で殻を破る事。

出過ぎた杭は打たれない。風景に溶け込んでいる。
タトゥー?いやいや日常の風景だ。だから誰も後ろ指を刺すこともない。
その国の法律を破っていないなら尚更、何も文句は言えないし、言う方が後ろ指を刺されるだろう。

中途半端な杭は打たれるかもしれない。だけど、成長し続けた杭はどうなるんだろうと。最初は誰でも一歩を踏み出した。失敗するかもしれない。いや、そんな陳家な価値観ではなく、生きる為に杭を成長させたのかもしれない。確かに風景と同化するパワーを持ち合わせているのだと思う。

生きる為に食事をし、出しての循環。別に恥ずかしい行為じゃない。
というより、それをしなければできなければ生き物としての機能が著しく低下していると言えるだろう。そう、これもまた当たり前の風景だ。

服を着る事、これもまた日常の風景。そしてファッションが生まれる。
最初は後ろ指を刺す人間もいるかもしれないが、それに賛同する人間が出てくる。それが当たり前の風景になっていくのだ。

ファーストペンギンはどこでも存在するのだ。突然変異で生まれるのかもしれない。

ファーストペンギンはどこから来るのか。

自分がいつの間にかなっているのかもしれない。誰かが生み出したものを違った居場所で自分が生み出しているかもしれない。

そう、環境さえ変えれば連鎖するのだ。
喜びの連鎖?不幸の連鎖?ドミノ倒しのように連鎖する。
呪いなのか、喜びなのか、幸福か。人それぞれだ。

ーーーー気付いたらファーストペンギンになっているかもしれない。


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