【5】サルでもわかる美術史・便器完結編
こんにちは。美術界のプロ乞食・ごろうです(`・ω・´)キリッ
気づけば前回の更新から1年以上が経ってしまったぽよ😭
みなさまいかがお過ごしでしょうか?
実を申しますと・・・
この「サルでも分かる美術史」シリーズは便器完結編が最も重要な内容となっております。
なぜなら・・・正直に言うとごろうが今まで語ってきた「昔の美術の話」って、現代美術を理解する上でほぼ無意味なんだYO(!)
ごろうは、美術わからんぽよ〜(´;ω;`)という迷える子羊たちがアマゾンでこんな本👇を買っている様子を56万回くらい目撃した事がある。
しかし、断言しよう。こういう本を買っても美術は分かるようにならない。
そして、GOROの昔のnoteを見ても美術は分かるようにならない。
なぜなら、美術の世界というのは100年前に「便器が登場する前とあと」で全く別のものに切り替わっているからだ。
そして、超重要であるからこそ、めんどくさすぎて1年以上放置プレイをかましてしまっていたGOROであった・・・・!٩( 'ω' )و
【前置き】 現代美術とはなんぞや?
一口に「美術」と言っても世の中には実に沢山の「美術」がある。デパートで売ってる富士山の油絵も美術、片岡鶴太郎の絵手紙教室も美術、やたらカラフルなイルカのシルクスクリーンも美術(という事にしておきましょう)。
しかし、最もクールで花形の美術はなんなのか?というと「現代美術」であるというのが一応インターナショナルな共通認識となっている。例えば、「東京藝術大学の油画科」は全盛期で入試倍率40倍、最近だと20倍くらいで、日本で美術を目指す人にとっては最難関とされている。しかし、ここに入学した学生はほぼ全員油絵をやめる(!)。彼らは現代美術こそ王道の美術であり、デパートで富士山の油絵を売る事は芸術的敗北だと考えているからだ(我々が住むジャパンでは「デパートの富士山系列」の画壇や公募展、老害たちが大きな力を持ってたりして非常にカオスぽよ)。
ちなみに現代美術ってのは具体的には
こんなの👇だ!
これを見た善良なる模範市民の皆さんは、こう思ったかもしれない。
「この超絶無個性なゲーセンに置いてそうなフィギュアは何ぽよ💢
これで100億円とかふざけすぎぽよ。まったくいいと思わんぽよ💢
YOUTUBEのおじいちゃん先生の絵の方がよほど芸術的価値が高いのではないでしょーか?やはり現代アートは理解できんぽよねえ・・・はぁ(深いため息)😮💨」
しかし、画溶液で脳みそが溶けてしまった美術猿人たちの意見は正反対だ。
「ジェフ・クーンズめっちゃかっこいいぽよ〜😍💕💕💕💕
好きぽよ〜😍💕💕💕💕💕💕
それにひきかえ・・・なんだこのふざけたヌコの絵は!!💢😡💢
知性のかけらも感じんぽよ😡💢💢💢
え、30万もするの?詐⚪︎じゃね?F💥CKくぁwせdrftgyふじこlp😡💢💢」
両者激おこである!!!!!!!!
そう、こと美術に関しては、善良なる模範市民の皆様と、脳みそが溶けた美術猿人の間では、価値観が正反対になってしまっているのである。
そして今日、このnoteを通じて市民の皆様の脳みそを少しだけ溶かし、美術猿人化していきたいと思うぽよ。
【前回の復習】便器前夜
前回のnoteでごろうは、19世紀フランスで人類の油絵技法レベルが最高潮に達し、ブグロー先生が血の滲むような努力の末にその頂点に立たれたことを説明した。
しかし!上手い絵を描くことを諦めたやつら(印象派とか)が現れ、なぜかブグロー先生が完全敗北してしまうという胸糞イベントが発生したことも説明した。
現代でも、モネとかゴッホとかは名前を聞いたことがあるけど、ブグローなんて聞いたことないぽよー!って人がほとんどではないだろうか?
美術史の残酷なところである・・・
これで、上手な絵を描かなくてもいいんだYO!
アートはもっと自由でいいんだYO!!
という考えが広まり世界に平和が訪れました・・・🐦
とはならなかった。
この事件は、更なるカオスの序章に過ぎないのだ・・・・!!!!
【便器爆誕】
印象派が誕生し、アートって自由ぽよ〜ヽ(*^ω^*)ノ
という雰囲気が出てきてから50年くらい経ったある日
1917年のニューヨークで事件が起きた。
美術展に、買ってきたトイレを出品した猛者が現れたのだ!!!!
これはアンデパンダン展という美術展で、美術は自由ぽよ〜!どんな作品でも展示していいぽよ〜ヽ(*^ω^*)ノと謳っていた会だったが、この作品にはさすがのアンデパンダン展の人たちも衝撃を受ける!!!
「いや・・・これはあかんやろ、てか作ってすらいないし・・・(;´д`)ハァハァ」という事でこの便器は展示されなかったそうな(そりゃそうだ)。
しかし、その後なんやかんやがあり・・・最終的に
便器が勝利した
しかもこれは「こんなおもしろい事もありました」というエピソード的な事件ではなく、美術史上最大の事件であり、この便器は現代美術の最高傑作とされている。
便器がなぜ勝利したのか、という詳しい説明は後ほどするとして、美術の歴史においてこんなふざけた、マンガみたいな事件が起こっているという現実を皆さんはどう思うだろうか?
GOROはなんというか、「自分の生きている時代、社会環境、小説や映画、想像しうるあらゆるものを超越したすごくデカくて自由でゾクゾクするもの」に触れ合ってるような気がするし、超絶クールだと思ってるぽよ。
「なんでこのクソふざけた便器が作品になるの!?´д` ;」
という疑問は多分全員持っていて、そう感じる事は全く間違っていない。
しかし、その全く理解不可能なふざけた価値観との遭遇を、カッコいい、ヤバい、好き💕
と感じる感覚が「現代美術が好き」って事なのかなあと思うぽよ。
とは言ってもまだ、スキ・・・💕と思える程度に脳みそが溶けていない読者諸兄のために次の章で便器を深掘っていくなり😉
【便器の深掘り】
ブグロー先生VS 印象派の闘いは、
「別に上手な絵なんて描かなくていいじゃん?」
という闘いだった。
しかしその後、便器の作者マルセル・デュシャンが提案した考え方はとんでもなくぶっ飛んでいた!
「別に、自分で作ったものじゃなくてよくね?」
「見えるものが全てじゃなくね?」
一見衝撃的だが、考えてみれば確かに間違ってはいない。
美術展に作品を見に来る人は、説明を受けないと「誰が作ったのか、どうやって作ったのか」なんて分からない訳で、例えば「この便器は実は全て手作りで、3年くらいかけて市販のものを完全再現しましたぽよ(うそ)」とか言われたら、その情報をもとにふむふむ・・・深いなあ・・・なんて考えたりする。
つまり、モノ自体は実はなんでもよくて、それがどんなメッセージを伝えるかが大事。便器は美術品と全く正反対の、いかにも価値がなさそうで汚いものだけど、それを展覧会場に置く事で「美術ってなんだろう?」と考えるきっかけを人々に与えるのならば、それも立派な美術品ではないか(意訳)。
みたいな内容の文章をデュシャンは新聞に投稿して人々を納得させた訳ですな。
では、この事を踏まえてもう一度便器を見てみましょう・・・
うーむ・・・・
深い・・・・
普段、ただの便器っしょ、価値ないっしょ、と思考停止していた「思考の枠」みたいなものが外れ、便器が異質なものとして見えて参りました。
「泉」という題名が示す通り古典絵画やギリシア彫刻を連想させるような白の崇高さを感じつつ、一方でこれは下品で性的な便器にすぎない。という矛盾したイメージが錯綜し、心を掻き乱す・・・
大きな宇宙船のようでもあり、美術館でこんなものをまじまじとみている自分がバカらしくもある。
無個性な古典絵画と無個性な便器、両者を鑑賞することにどのような差異があるのだろうか?
価値のない大量生産品を高度な哲学を感じさせるオブジェに変換する手腕に、フランス人らしいエスプリと下ネタ文化さえも感じる・・・
ああ、これは、まぎれもなくデュシャンの作品なのだな。デュシャンが作った訳じゃ無いけど、ホムセンで買ってきただけなんだろうけど、デュシャンの作品なんだな。と感じる。
なぜだろう?
なるほど・・・美術とは・・・
鑑賞者が作品を完成させるとは・・・
そういう事か・・・orz
続いて、便器以外の作品も鑑賞して参りましょう・・・
デュシャンは「レディ・メイド」とよばれる既製品にサインしただけのシリーズを数多く発表しました。
٩( 'ω' )و
・・・・
・・・・・・(˘ω˘)スヤァ
もっと作品を載せたかったのですが、noteの限界に達したようです( ̄^ ̄)ゞ
以上、長々と書きましたが、デュシャンによって「現代美術」がはじまったのであり、一見難しくみえる他の現代美術作品も実は便器の亜種に過ぎません。そう考えると、意外とカンタンって感じがしますな!👴
現代美術の世界では「デュシャンが全部やり尽くしたから、やることがない」なんて言われていたり、ヨーロッパでは美術を知らない一般人でも知っている定番のアーチスト=デュシャンみたいな感じになっておりますよ(日本ではピカソとかだけど)。
他の作品もヤバいものばかりなので、仕事をサボった日にでもぜひチェックしてみてください。
最後まで読んでくれた君だけに、この言葉を送りたい。
DISCORDにお入りなさい。
GORO
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