見出し画像

どこまでが夢ですか

どこまでが夢ですか。という文字が車体にプリントされた軽トラが目の前を通り過ぎていった。街中で見かけるのは三回目。どこまでが夢ですか。

***

『言葉をおぼえる』という本を東海道線の車内で読んでいたら、胎児が耳にする母親の声について次のような記載があった。

胎児に届く音声とはどのようなものだろう?実際に胃の中にマイクを入れて、外の世界の音や母親の声がどんなふうに届いているのか拾ってみると、音声の強弱や上がり下がり、リズム、ことばの母音の部分などは伝わってくるが、子音はほとんど聞こえないという。つまり、胎児に届く音声とは、声全体の調子はわかっても、何を言っているかは聞き分けられないようなもの―遠くで誰かが話しているのは聞こえているが、何を言っているのかはわからない、そういった状態を想像していただければよいと思う―なのである。
したがって、胎児がなじむことのできる「母語」とは、せいぜいそのリズムといえるだろう。

今井むつみ (著), 針生悦子 (著) 『言葉をおぼえるしくみ――母語から外国語まで』筑摩書房,p.32

それでふと思い至ったことがある。

私は夜、イヤホンを耳にしながら寝る。ラジオや音楽など、誰かの声を聴きながらでないと、入眠できないからだ。うとうとして、遠くで誰かがしゃべっている(が、何をしゃべっているかはわからない)状態に達すると、すうっと気持ちよく、意識を失うことができる。

これは一種の幼児退行ではないか。いや、幼児ならぬ胎児退行。母親の胎内にいた頃の記憶を身体が憶えており、心地よさを感じているのでは。

***

昔の同僚が教えてくれた話。

双子を懐妊したが、残念なことに片方の子が死産となった。もう片方の子は無事生まれ、元気に育っている。その子が3歳のとき「ねえあの子はどこにいったの?」と親に訊ねてきた。

詳しく聴くとどうやら「あの子」とは母親の胎内にいたもう片方の子、つまり死産してしまった双子の片割れのことを指していたらしい。その子は胎内の頃の記憶を憶えていたようである。まっくらなところで、いつも一緒にその子といたんだよ。

***

胎児はヒトか。ヒトの始まりはいつか。

胎児に人権は認められるか。例えば、胎児に相続する権利はあるのか。損害賠償請求権はあるのか。殺してもよいのか(中絶)。ヒトの始期を巡る法学上の学説はいくつかある。

同じ日本でも、民法と刑法ではその解釈が異なる。日本はもちろん、諸外国の法律がどのように規定し、解釈し、運用してきたか。その歴史を知るのは面白い。多種多様だから。

***

実家の本棚から、学生の頃読んだ夢野久作『ドグラ・マグラ』の文庫本が出てくる。発売時の帯には「本書を読破した者は精神に異常を来たす」と喧伝された推理小説である。

付箋の付いたページを開く。「胎児の夢」のくだりだった。作中人物の精神病理学教授が書いた論文である。胎児は母親の胎内で、生命の誕生から厳しい生存競争、人間が犯してきた数々の罪業の悪夢を見ている、と唱える。

そもそも夢というものは、人間の全身が眠っている間に、その体内の或る一部分の細胞の霊能が、何かの刺戟で眼を覚まして活躍している。その眼覚めている細胞自身の意識状態が、脳髄に反映して、記憶に残っているものを吾々は「夢」と名付けているのである。

たしかマレーシアに向かう飛行機の中でこの本を読んだ。足元がぐらぐらするような読後感だったが、気流の影響で機体がフワリフワリと揺れるせいかもしれなかった。

機内で隣席の学生が『バナナと日本人』という新書を読んでいたことも、ついでに思い出した。それすごい面白い本ですよね。と話しかけようかどうかさんざん迷った挙げ句、思いとどまったことなども。

***

佐井好子というミュージシャンがいる。

Youtubeの関連動画を辿って数年前に知った。ピンク・フロイドが日本語でフォークソングを唄っているような音楽。彼女の無色透明な声がふわーっと響いて、入眠時の耳に心地よい。優しいのか恐ろしのか、冷たいのか暖かいのか分からない声でもある。

一時期、よく寝る前に流していたのが、彼女の3枚目のアルバム。タイトルが『胎児の夢』。1977年発売。

このタイトル、明らかに夢野久作の『ドクラ・マグラ』に触発されたもの。歌詞を意識せずに音楽を聞くことが多いのだが、それにしても、何で今まで気が付かなかったのか。調べてみると、彼女は夢野久作原作の映画の主題歌も唄っている。

このアルバムの10曲目が「胎児の夢」。アルバムタイトル曲である。私は上野の不忍池を歩きながら、この曲をイヤホンで聞く。歌詞に意識を向けながら。背筋が冷たくなった。よくこんな曲聴きながら眠りについていたな。自分の感度の低さに呆れる。

生まれる前に 見た夢は
移ろう 季節のあいまに
あたしの心とざした あのメロディー

糸でんわによれば
遊園地の 紅い池に
フワリと咲きはじめた ハスの花は
死ぬることなく
それどころか
妖艶なる触手を のばして
この世をおおいつくして しまいそうで
紅い魚逹は 鱗を散らしながら
あえぎもだえて いるとのこと
生まれる前に見た夢の
その静かなる 風景

狂えばこの世に 花が咲く
それとてかなわぬ 夢ならば
あたしの心とざして あのメロディー

『胎児の夢』佐井好子(作詞)

***

雨上がりの不忍池。見渡す限りのハス。いくつかの葉に雨粒が残る。

病院の途中にあるから、お見舞いに行く度に目にする。その生命力あふれる景観に、心が慰められることもあった。

音楽はときに風景を変える。今は少し不気味に感じる。日が沈み、紅く染まる池。見渡す限りのハスに、白い花が咲く。一斉に。その瞬間を夢見る。どこまでが夢ですか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集