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ミルクティー、ドーナツ、もっと重い魂

ドーナツ屋でロイヤルミルクティーを2杯おかわりした。胸焼けがする。おかわり自由だと知って最初はときめいたが、人間そんなに何杯も濃厚なミルクティーを飲めるものではない。店だってそのことをちゃんと分かっているから、おかわり自由にしているはずだ。

ロイヤルミルクティーは、茶葉をお湯で煮出した後にミルクを加える通常のミルクティーとは異なり、茶葉をミルクで直接煮出す。なぜロイヤルかというと、そのようにミルクを贅沢に消費するティーを飲めるのは、当時、イギリス王室(およびその周辺の裕福な貴族)だけだったので、王室流のミルクティー、つまりroyalなミルクティー、という訳である──以上はすべて私が当てずっぽうで考えた嘘の由来で、事実はとうぜん異なる。

本当は、英国のティー・カルチャーを日本に紹介した草分け、京都の現・株式会社フクナガが、前身『リプトン本社直轄喫茶部 極東支店』時代の1965年に販売した同名の飲料を機に、日本でロイヤルミルクティーが広まったらしい。”ロイヤルミルクティー”は和製英語である。当時の『極東支店』の商品開発担当者がなぜ”ロイヤル”の名を冠した日本独自の製法によるミルクティーを着想したのか。興味深いが、私はまだ知らない。

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ドーナツ屋は今日も繁盛している。老若男女が集い、皆してリング型のドーナツを口にほおばる光景は微笑ましく、平和的である。アメリカ発祥のドーナツチェーンブランドだが、アメリカ本社はすでに消滅、提携先企業がそれぞれ各国でブランドを維持している状況である。日本のほかには台湾、インドネシア、フィリピン、タイ、エルサルバドルに店舗がある。

アメリカではドーナツが昔も今も国民的スイーツである。ドーナツの国民食化に一役買った救世軍の”ドーナツガール”のエピソードが有名で、戦争の影がちらつく食べ物でもある。

第一次世界大戦中、ヨーロッパの西部戦線の米軍兵の慰問にやってきた救世軍のボランティア、マーガレット・シェルダンとヘレン・パーヴィアンスが、前線近くの廃屋に設置した小屋で手作りドーナツを兵士たちに振る舞った。

出典 Wikipedia

彼女たちは”ドーナツガール”と呼ばれるようになり、このエピソードにちなみ、アメリカでは毎年6月の第1金曜日は「ドーナツの日」という記念日になる。その日は、多くのドーナッツ店でドーナツが無料で振る舞われる。(以上は、NHKのテレビ番組「グレーテルのかまど」2016年6月18日放送回参照)

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昔、NHK教育テレビで放映されていた水木しげる原作『のんのんばあとオレ』に、水木しげる本人の少年時代をモデルにした主人公・村木茂が、生まれて初めてドーナツを食べるシーンがある。

当時のドーナツはまだ大変希少だった。茂たちは苦労してドーナツを手に入れる。しかし彼らは初めて目にするドーナツの食べ方が分からない。仲間の少年の一人は、これ舐めるんでねえか?とドーナッツの表面を恐る恐る、舌でペロペロ舐めだす始末。そこで茂は、都会から来た千草だったらきっとこんな風に食べるんじゃないか、と想像して、思い切って、その輪っかにかぶりつくのである。

千草はその夏、肺病のために都会から鳥取に療養にきた少女で、茂は手に入れたドーナッツを一瞬、彼女にプレゼントしようかと迷うのだが、「いや、あいつはお金持ちでドーナツなんて当たり前に食ってて、馬鹿にされるかもしれない」と思い直して自分で食べてしまうのである。

ドーナツにかぶりついた瞬間、その美味に驚き、仲間たちと興奮しながらむしゃぼり始める。かぶりついたその瞬間の茂の表情が忘れがたい。そのドラマを見た後しばらくは、ドーナツを手にするたび、茂たちの表情がフラッシュバックし、当時の少年たちが夢中になるだけの価値のある菓子であると、しみじみ思うようになったものである。

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肺病の千草は、自分の死が近いことを悟っている。「私は死ぬのが怖かったけど今は全然怖くないの おばあさんや茂さんが死んだ人間は十万億土へ行けると教えてくれたから 私は幸せ者ね みんなに親切にしてもらって 境港に来て本当に良かった」と彼女が言ったとき、茂は返す言葉がなかった。「十万億土」は極楽浄土のことである。

その後、絵が得意な茂は、千草に頼まれて極楽浄土の絵を描き始める。残された時間がわずかであることを予感しながら、精魂込めて描いた茂の極楽浄土の絵姿は、ドラマ、あるいは原作漫画で確かめていただきたい。

結局、千草は死んでしまう。千草の死を悼んでいる茂に、のんのんばあはこんなことを言う。

のんのんばあ
「千草さんの魂が しげーさんに宿って 心が重くなっちょるだがね」
 

「魂は十万億土に行くんじゃないのか」

のんのんばあ
「大部分はそうだけど 少しずつ縁のある人の心に残るんだがね〈中略〉
人の心はなあ魂が宿るけん成長するんだ〈中略〉しげーさんは成長したんだなあ でも時に宿る魂が大きすぎることがあってなあ」


「今のオレか…」

のんのんばあ
「これからはもっと重い魂が宿るけんなあ」


「もっと!?」

のんのんばあ
「でもしげーさんの心も重たさを持ちこたえるくらい大きくなって大人になっていくんだでね」

出典:『のんのんばあとオレ』

水木しげる本人はその後、戦争で多くの戦友を失う。「もっと重たい魂が宿る」という台詞には、戦友たちへの想いが込められているのかもしれない。



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