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わたしが嫌われたくなかった相手とは?
わたしはずっと細心の注意を払ってきた。
目立たないように、可愛くなりすぎないように、活躍しすぎないように、輝きすぎないように、しあわせになりすぎないように、自慢にならないように。
もしわたしが何もかもうまくいって絶好調にしあわせになったら、誰かに傲慢だと後ろ指を刺されて嫌われると信じていた。
だから自信のない感じをだして謙虚さを演出してきた。
少し不幸なくらいが愛されると信じていた。
そんなわたしもたくさん自分と向き合ってきて、どんな自分も受け入れてきた。
傷や痛みは癒してきたし、自分のことだってかなり好きになってきた。
「よし!これからは自分を可愛がろう。もっと自分を慈しもう。」
「人前に出て自分のやりたかったことをやっていこう」
そう決意してもなぜだかブレーキがかかって前に進めない。
「そんなことしたらきっと嫌われるに違いない」
「うまくできなくて後ろ指を指されて笑われるに決まってる」
そんな考えが心に浮かんで怖くなってしまう。
それが自分でも不思議でたまらなかった。
なんでそんなふうに思っていたのだろう。
そう思うのはいったい誰に対して??
わたしは誰に嫌われることをそんなにも恐れてきたのだろう?
その答えはもちろん母だ。
そして母みたいな女性全般に対して。
わたしはいま母親と距離を置いているので、実在の母親は関係ない。
ということはわたしは観念としての母親と観念としての母親みたいな女性に後ろ指を刺されることを恐れて必死に隠れているということになる。
じゃあ母みたいな女性ってどんな女性なのだろう?
わたしは具体的にいったいどこの誰を恐れて自分を出し惜しみしているの?
わたしがイキイキと活躍することで、わたしが自分自身を愛し、自分の人生を謳歌する姿を見て、後ろ指を刺してくると思っている人たちは誰?
それはたとえば母親と妹。それから過去の友人や知り合いたち。
その人たちの共通点に気づいて心底驚いた。
わたしが嫌われたくなくて、活躍しすぎないように、目立ちすぎないように自分を抑えて、気を遣ってきた相手とは、母に似た
自己肯定感の低い女性
だったんだ。
自己肯定感が低いから他人の成功をよろこべない。
妬み、嫉み、ひがみ、嘲笑、悪口、劣等感、無価値観、憎しみ、蔑み、こき下ろし
相手の長所や幸福を素直によろこべず、相手を悪く思ったり憎んだりする。
自分の劣等感を刺激されて、無意識にその人を引き摺り下ろしたい、その人の輝きを消し去りたい、そんな衝動に駆られるのだ。
可愛い人に「可愛いね」と言えない。
がんばっている人に「すごいね」と言えない。
他人を褒めることは自分の価値を奪われることになる気がする。
自分には価値がないと信じていて、自分と他人との境界線がうまく引けていない。
なぜ分かるのかって?
それはわたし自身がずっとそうだったからだ。
うれしいです!!!!