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不登校から5年をふりかえって

むすこは今から5年前、小5の終わりに不登校になった。

それまでたのしく学校に通えていたし(宿題にはいつも苦労していたけれど)友達も多かった。放課後はたくさんのお友達がわが家で集まってゲームをしていた。給食がだいすきでたくさんおかわりしていた。内気で引っ込み思案で不器用なところはあるけれど、純粋で誰にでも分け隔てなく優しいむすこはみんなから好かれていたと思う。


そんなある日、むすこは学校へ行けなくなった。
小5の夏休み明けだった。

わたしは混乱した。
毎朝玄関でわたしとむすこの押し問答がはじまった。

「行くの?」「行かないの?」
「なんで行かないの?」「行くって言ったじゃん!!!」

お友達に迎えにきてもらったり、いろんな先生に迎えにきてもらって、どうにか行ける日もあったけど、そのうち行けない日の方が多くなった。

朝の玄関での押し問答の末、わたしが根負けして学校を休むことになった日はわたしが学校へ電話した。
わたしにとって、その電話がなによりもストレスだった。

担任の先生から
「なにが原因なんでしょうか?なぜ学校に行きたくないのでしょうか?」と毎日のようにたずねられたけど、いくら考えてもわたしには原因がわからなかった。むすこにたずねても、むすこもわからないようだった。


なぜ?なぜ?なぜ?

なぜ学校に行けないのか?


先生にたずねられるたび、じぶんが責められているようで苦しかった。
わたしはどんどん追い詰められていった。


いったいわたしはあのころ、なにと闘っていたのだろう。
なぜわたしはむすこに寄り添ってあげられなかったのだろう。
わたしはどうにかしてむすこを学校に行かせたかった。
むすこが学校を休むことは「まるでわたしの子育てが間違いでした」と認めるようで恥ずかしかった。じぶんの名誉のためにむすこを学校に行かせようとしていた。
わたしはじぶんのことしか考えてなかった。

わたしは毒親だった。




そんなすったもんだをどれくらいやっただろうか?毎朝玄関でむすこを引きずりだして学校に行かせようとすることに、わたしは疲れてしまった。

学校に連絡して「これからは学校に行ける日だけ電話します」と伝えた。

いちばんストレスだった学校への電話連絡をやめたことで、わたしはずいぶん楽になった。
むすこを無理やり学校に行かせることを諦めた。



最初はいろんな人に相談した。
先生やスクールカウンセラー、ともだち、親やきょうだい、夫。

常識のレールから外れたことのない人たちにとって、常識のレールを外れることはとても怖いことだ。
親きょうだい夫たちはみな、なによりも常識のレールに沿って生きることを重んじてきた人たちだったので、みな一様に「学校に行かせること」だけが正解だと信じていたし、その人たちにとってそのレールから外れることは「人生の終わり」を意味していた。そんな人たちからかけられる言葉は「早く学校に行かないとこのまま行けなくなるよ」とか「将来就職できなくて引きこもりになるよ」とか脅しのような言葉だった。そこにはむすこの味方はいなかった。

誰かに相談してもなにも解決しなかった。
それどころかよけいに悲しい気持ちになるばかりだった。

わたしは不安で不安でたまらなかった。なにか解決策はないかと不登校関連の本を読み漁った。
「食事を改善すれば不登校が治る」という内容の本を読んで、病院に通ってプロテインとサプリを飲ませた。(おなかを壊して続けられなかった)

「不登校は自尊心のコップが空っぽになった状態だから、こどもをほめてそのコップを自尊心の水で満たしてやったら学校に行けるようになる。そのために1日3つこどものいいところを見つけてこどもに伝えよう」という趣旨の本を読んで、不登校の子どもを抱えるお母さんたちとオンラインのコミュニティーをつくって実践してみたこともある。


そのコミュニティーは半年くらい続いた。
毎日みんなでこどものいいところを見つけてはクローズドのSNSに書きこんだ。

じぶんのことを客観的に見ることは難しいけれど、他人のことは客観的に見える。
みな一生懸命こどもの良いところを見つけようとしていたけど、とてもしんどくて生きにくそうだった。
わたしもその他のおかあさんたちも自尊心のコップがからっぽだった。
こどもを褒めるまえに自分の良いところを見つけてじぶんのコップを満たすのが先だと気づいた。

最終的に「とにかくお母さん自身がじぶんの良いところを見つける、良くないところもゆるして受け入れていく、どんなじぶんにもOKを出していく」というところにたどり着いた。

けっきょくありのままのこどもを受け入れられないのは、わたしがありのままのじぶんを受け入れていないからだった。良いところも悪いところもダメなところも恥ずかしいところも情けないところもどんなじぶんもすべてゆるしていくことが、まずわたしに必要だった。


どんなわたしもすべて受け入れることができたら、自ずと子どものことも「そのままでいい」と思えるようになる。


そう気づいてから、わたしはありのままのじぶんを受け入れるために、じぶんと真剣に向きあった。


なぜむすこに学校に行ってほしいのか?
どうなるといいと思っていて、どうなると恥ずかしいと感じるのか?
わたしはいったい何を求めているのか?

わたしは他人にどう見られているかばかりを気にしていた。
むすこが学校に行かなければ、わたしは周りの人からダメな母親だと思われる。そのことが恥ずかしかった。じぶんに自信がなくて、外側からどう見えるかばかりを取り繕って生きていた。中身が空洞だった。

夫ともずっとうまく行っていなかった。コミュニケーションがとれていなかったし、夫の依存症は次第に悪くなっていて、そのストレスをむすこにぶつけてしまっていた。

じぶんのことをありのままでいいと思えていないから、むすこのこともそのままじゃダメだと思っていた。むすこにじぶんを重ねて「もっとこうだったらいいのに」といつもむすこを変えようとしていた。そのままのむすこを認められていなかった。いつもむすこを否定していた。

そういうわたしの否定のエネルギーがむすこを追い込んだのだ。
明るくて元気でかわいかったむすこからエネルギーを奪ったのはわたしだった。

むすこは何かこれという原因があって不登校になったわけではなくて、ありのままのじぶんを受け入れられない家庭環境の下で、両親からのつよいストレスにさらされて、生きるエネルギーが枯渇してしまった結果だったのだと思う。


むすこが不登校になり、わたしはじぶんと向き合うことを通してあることに気がついた。それは「じぶんが一番じぶんを否定してきた」ということだった。

それに気づいてじぶんでじぶんを認めるようになったら、いつの間にかむすこのこともそのままでいいと思えるようになった。

そうなったとき、もうそこには『不登校』という問題は存在していなかった。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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