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母親という幻想を捨て、自分で自分を幸せにする覚悟を決める

私はお母さんが大好きだと思っていたけれど、果たして本当にそうだろうか?

お母さんの好きなところをあげてくださいと言われると、母の好きなところなんて無い。

今まで優しいと思っていたところは実は押しに弱く他人の言いなりになっているだけだったと気付いた。

母は優しくもないし思いやりもないし母性もない。小さい頃の母の思い出といえば、手を繋ごうと思ったらすごい勢いで手を振り払われたこととか、私が拗ねてトイレに隠れても絶対に見つけてくれなかったこととか(気付いて無視していた)、父親の愚痴をいつも私に聞かせたこととか、父親に叩かれている私を助けてくれなかったこととか、ろくでもない思い出ばかりだ。

嬉しかったことと言えば、小学校の時、喘息で入院していた私に母が付き添ってくれたこと、耳かきをしてくれたこと、刺さった棘を抜いてくれたことくらいだ。耳かきと棘ぬきは普段私に触れてくれない、触れさせてもくれない母親が私に触ってくれる貴重な機会でとても嬉しかったのを覚えている。

そういえば高校生の頃、一度だけ母と二人で出掛けたことがある。母と二人でランチを食べてフラワーフェスティバルの毛利元就展に行ってプリクラを撮った。おそらく母は父と喧嘩して家を飛び出したのだろう。その時なぜかは分からないけど私だけを連れて行ってくれた。それはたまには私とふたりで出掛けたかったとか、普段甘えられない長女のためとかそんな思いは微塵もなくて、おそらくは父に対する当てつけのような事だったと思う。それでも私は飛び上がるほど嬉しかった。その時撮ったプリクラをその後何年も大切にしまっていた。

大学生になって家を出てからは、程よい距離感ができたからか母との関係は良かった。でもそれも母と娘という関係というよりは友達の延長のような関係で、その証拠に母はその頃できた彼氏の惚気話を私に聞かせてきたり実際に目の前でイチャイチャしたりした。(控えめに言って地獄)

こう考えてみれば母はずっと私のことを子供扱いしていなかったんだな。
母は私のことを子供だと思っていなかった。

一応見た目は母親の役割をしてくれていたけれど、中身までは母親になっていなかった。つまり衣食住は保証されていたけれど、情緒的な繋がりや精神的なケアがなかったということ。

私は母を「母親」という役割で見ていたけれど、 母から「役割」を外してみたらどうだろう?母親ではないただのKという人間だとしたら?私はどう付き合うだろう?

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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