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違和感を大切にする/他人ではなく自分を信じることについて

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どうやらわたしは他人を信用しやすいらしい。

オカルトヒーラーにだまされて、そのこと友人に相談したとき、こう言われた。



「もっと人を疑わなきゃ、
わたしはだいたい疑ってるよ」


それを聞いてわたしは心底驚いた。


たしかにわたしは整体院で性的な施術されたとき、オカルトヒーラーをみじんも疑わなかった。

派遣先で出会った女性に自宅でのランチ会に招かれたときも(化粧品を売りつける会だった)

パート先の女性からランチに誘われたときも(高額な補正下着を売るネズミ講へのおさそいだった)

わたしは好意で誘われたと信じていて、みじんも疑っていなかった。(幸いオカルトヒーラー以外は早めに断ることができた)


この人たちの共通点は、みな最初わたしに好意を示したこと。

わたしのことを好きなフリして近づいてきて仲良くなりたい感じを出してきた。

それは商品を売りつけるため、または性的に搾取するためだったのだけど、そのための「見せかけの好意」をわたしはいつも素直によろこんで受けとってしまっていた。

どうやらわたしは好意を示してくれる相手に弱いのかもしれない。



もう一つの共通点は、みな自己愛が強くて「自分語り」してくること。

彼らは自分がどれほどすごいかをわたしに言って聞かせた。

わたしはじぶんのよい側面を語ることを禁じられて育ったので、自分のすごいところを朗々と語る人をみると

「なんて自尊心が高いんだ!」

と思って感心してしまうクセがある。

実際は自尊心が低いからこそ「自分語り」に一生懸命なわけなんだけど。



こうして見てみると、わたしをだましてきた人たちは総じて自尊心が低くて自己愛が強すぎる人たちだった。

見せかけの好意をぶら下げて近づいてきてわたしをコントロールしようとする人たち。



こんな人たちといてわたしは楽しかったのだろうか?

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うれしいです!!!!