見出し画像

毒親問題の終焉があるとしたら?/毒親問題が終わった日

残り9

毒親問題に終焉があるとしたら?

それは毒親のことを考えなくなったときである。

こんな言葉を目にした。

そういえば最近、親のことまったく考えなくなっている。
だとしたら、わたしの毒親問題は終焉を迎えたような気がする。

もしかして、終わったのかもしれない、、、、、
毒親問題。




今までのわたしは確かにずっと親のこと考えていた。
こども時代に回収できなかった愛情の負債をなんとか取り戻そうと必死だった。


プレゼントをしたり、旅行に連れていったり、孫を見せにいったり、腹を割って話したり、泣きながらお願いしたりした。

「どうかわたしを愛してください」

ずっとそう叫び続けてきた。



でもそれは徒労に終わった。
どんなにがんばってもわたしが欲しい愛情は得られなかった。


わたしには心底絶望する時間が必要だった。
親はわたしの望む愛情をわたしに与えることはできないんだと時間をかけて理解していった。


なぜわたしはそんなにも親を求めていたのだろう?
それはいま思えば「愛情」からではなくて、「執着」と呼ばれる種類のものだった。


わたしは親の実の子どもなんだから、親に愛してもらう権利がある。親はわたしを愛する義務がある。他のきょうだいと同じくらいの熱量でわたしも愛してもらわなければならないんだ。

幼いころに取り損ねた分を回収しようと必死になっていただけだったのかもしれない。



きょうは、わたしが毒親のことをまったく考えない今の境地に至るまでにやったことをまとめてみようと思う。




ここから先は

2,332字
この記事のみ 残り9/10 ¥ 980

うれしいです!!!!