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エレベーターの呼吸を半年続けたら、思考のON・OFFスイッチが搭載された

こうやってまいにち毒親のことについて書いていると
「このひと四六時中お母さんのこと考えてるんじゃない?」
と思うかもしれないんだけど、実はそんなことないんだよね。

たしかに過去のわたしは母のこと、夫のこと、義母のこと、嫌なことを四六時中考えてた。考えようと思わなくても頭の中が嫌なことでいっぱいで、思考がぐるぐると忙しかった。それを止めようなんて思いもしなかったし、このぐるぐる思考が止められるなんて思いつきもしなかった。

むしろ問題は考えれば考えるほどいいと思ってた。
考えれば考えるほど早く解決できて、たくさん考えてたくさん問題を解決できれば、いつかわたしはしあわせになれる、そう信じていた。


でもある日気づいたんだ。
問題が解決するときって頭でたくさん考えたときじゃないんだよね。
むしろ頭を空っぽにしてぼーっとしているときに、ふっと浮かんだヒラメキがわたしを新しい場所に連れていってくれたりする。
そのヒラメキは頭の中のぐるぐる思考とはまったく別の場所にあって、思考とはなんら関係ないんだと気づいたんだ。

むしろ無駄な思考はしなければしないほど、ヒラメキを得やすい。
少しでも頭を空っぽにしておくことがなによりも重要なんだと分かった。


でも、どうやってぐるぐる思考を止めたらいいの?

最初は運動と瞑想くらいしか思考を止める方法を知らなくて、でも弱っているわたしには運動は疲れるし、瞑想は魔境に堕ちるしで、なかなか難しかった。


そんなときに出会ったのがネドジュンさんの「エレベータの呼吸」だった。


そのころのわたしは混乱の極みにあった。
オカルトヒーラーに操られて魔境に堕ちていたし、その流れで性の探求にハマって女風のセラピストにガチ恋していた。
そのことで四六時中あたまの中がぐるぐるしていた。
でもそうやって混乱しながらも、どこか別のところには醒めた自分がいて、その混乱した自分を眺めていた。


わたしがなぜあんな好みでもないふつうの爺さんといい仲になっているのか、なぜキモめの女風のセラピストにこんなに夢中になっているのか、まったく意味がわからなかった。

混乱の極みのなか、とにかく思考を落ち着けるためにエレベーターの呼吸をしまくった。それはもう必死に。

結果的には、それがよかったのだと思う。
ここまで狂った出来事でもないと、あんなに必死に呼吸法に取り組めなかっただろう。

それを半年ほど続けたら、頭の中がずいぶん静かになった。
気づけば、いつも穏やかな気持ちで過ごせるようになった。

たまに思考がぐるぐるすることもあるけれど、自分で気づいて止められるようになった。


思考とわたしの間にスペースができたのだ。



ネドじゅんさんの言う「右脳回帰」にはまだ至っていないけれど、わたしは今の状態でも十分しあわせだ。

あのころの頭の中がぐるぐる忙しい状態に比べれば、いまは格段に平穏だもの。



こうやって毎日文章を書いていると

「毎日どんだけ問題について考えてるんだろう?」
「文章を書けば書くほど頭の中がぐるぐるするんじゃないの?」

と思われるかもしれないけれど、意外とそうでもない。

いつのまにか頭の中に思考のスイッチができていて、1日1時間パソコンに向かうときだけ、その思考スイッチオンになる。

そのときに毒親のこととか亡くなった夫のことなんかを頭の中を整理しながら書いてるんだけど、終わったらその思考スイッチオフできるようになったんだ。

それに自分の体験を文章にすることは、わたしの記憶をスッキリと整理してくれて、むしろ頭のなかが軽くなる。


というわけで1日1時間思考を整理する時間以外は、思考は穏やかで平穏な時間が流れてる。

犬と散歩しながら美しい緑の木々を眺めては「なんて美しいんだ!」と感激したり、おいしいごはんを食べて「おいしいなぁ〜」と感動したり、猫を撫でながら「かわいいなぁ〜」と慈しんだり、そんな時間を思いきり味わっている。

自動思考に気づいたら、STOPして体に意識を向ける。
いまも日に何度かはエレベーターの呼吸をして、右脳回帰できる日を楽しみにしている。


もしいま苦しいことがあって、頭のなかがぐるぐるしている人はむしろチャンスかもしれないよ。
エレベーターの呼吸ぜひ試してみてください。

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わたしの人生のテーマであるセクシャリティー、毒親、癒し、統合、死別、共依存などについて綴ります。目標月10本以上更新。みなさんの応援がわた…

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