お金の不安と対峙して気付いたこと
2年前、夫が亡くなって
わたしはパートを辞め
自分の癒しに全力をかけた
というか苦しすぎて働けなかった
生きるだけで精一杯だった
幸い遺族年金と民間の保険金がもらえたし
持ち家の家賃も無くなったので
当面の生活はなんとかなった
でもわたしまったく節約しないから笑
癒しという名のもとに
湯水のようにお金をじゃんじゃか使って
貯金残高はみるみる減っていった
そこを薄目で見ながら
でも、できるだけ直視しないように生きてきた
本来なら
夫を亡くしてまだお金のかかる子供がふたり
普通の神経の持ち主ならば
とりあえず働くだろう
どんなにしんどかろうが
苦しかろうが
悲劇のヒロインになって
お金のために身を粉にして働くだろう
でもわたしはそれをしなかった
なぜだか「そうするべきじゃない」
「そのうちどうにかなる」
という感覚だけがあった
それは確信に近いもので
でもなんの確証も保証もなく
考えだすと恐ろしく怖いので
誰にも相談せず、誰にも言わず
自分でも見て見ないふりしてここまで来た
おそらく2年経てば
癒しも終わって
やりたいことも見つかって
それが収入に結びついて
何とかなっているだろう
そういう見立てだった
が!しかし!!
わたしの中の期限である2年が経ってなお
癒しはいまだ終わらず
そんな中、むすめは私立中学校に入学した
わたしの不安はここにきて
ついに爆発した
もうだめだ‥
むすめとむすこの入学金や制服、
学用品などの支払いが続いて
ついにわたしは不安を抱えきれなくなった
このままじゃ絶対にヤバイ(;´д`)
もうとりあえず
この不安から逃れたい
そのために何でもいいから仕事したい
現金収入を得て安心したい
もう魂の道とか言ってられない
なんでもいいから
この不安から抜け出したい!!!!
そんな思考に四六時中取り憑かれた
ちょうど別件で
地獄に堕ちていた時期でもあり
わたしは自分を見失って
お金の不安に震え上がる日々を過ごした
安心を外側に求めて
本気で職探しを始めようとしていた
そんなとき大切なのは
「自分に安心を与えること」
いつも口酸っぱくして
わたしが言っていることだ
でも言うは易く行うは難し
とはまさにこのこと
瞑想をしても呼吸法をしても
わたしの知識を総動員して
ありとあらゆることをしまくっても
なかなか「安心」に戻ることができなかった
この状況で決断することだけは間違っている
ということだけが分かっていた
わたしは恐怖に飲み込まれながら
不安と対峙しながら
とにかく待った
そしてある日、不安のフェーズは終わった
そして気付いた
またわたしは外側に
安心を探しに行こうとしていた
でもわたしがやるべきことは
すでにもうある
もうこの手の中にあった
それは
文章とヘッドマルマケア
もうすでにやっていて
わたしが大好きなこと
不安から
他の何かを探しにいくのではなくて
安心の中で
大好きなことをもっと極めていけばいいのだ
ずいぶん遠くまで行って
ようやくここに帰ってきた
わたしはすでに持っていた
そう思い出すために
遠くまで行ってきたよ
おかえりわたし
わたしはこの場所で
まだできることがある
それを思い出せてよかったね