asdとして生きる
息子は小学5年生の終わりから学校に行けなくなった。思春期外来で発達検査を受けたところ、asdという診断が降りた。
夫が亡くなる以前の私は、トレーニングをして息子の特性を和らげ、なんとか定型の社会にうまく溶け込めるようなことを目指していたのだと思う。
でも今は違う。
夫のように自分を殺して定型の社会に合わせて二次障害を起こしてしまうことは何より悲しい。
息子には「人と違っていていい」「そのままの自分で生きていい」「自分のできないことを頑張るのではなく自分のできることを楽しんでやってほしい」と思っている。
定型発達のふりをして生きるのではなく、asdとして自由に堂々と生きてほしい。
これからはそんな世の中になるはずだし、そんな世の中に私たちがしていかなければならない。
人と違う道を生きることは、人と同じ道を生きなくてはならないと信じている人たちの不安を刺激するだろう。批判されることもあるに違いない。
それでも強く生きてほしい。そんなことはどうでもいいことなんだと跳ね飛ばせる強さを身に付けてほしい。
自分をとことん大切にしていいんだと知ってほしい。
この世で自分を大切にできるのは自分だけなんだと知っていてほしい。
うれしいです!!!!