「怪物に出会った日」
随分前の話になってしまうけど、「怪物に出会った日 井上尚弥と闘うということ」を読んだ。
元々ボクシングに興味があったわけではない。
年末に行われることが多いタイトルマッチを実家のテレビで見ることはよくあったけど、積極的に試合結果をチェックするとかは決してしない。
でも、井上選手がものすごいレベルの選手だということは、時たま読むスポーツ雑誌を通じて、私でも知っていた。
とにかく圧倒的な強さを誇るボクサー。
筆者はその強さを伝えようとしたものの、行き詰まった結果、発想を転換して、井上選手と拳を交えた対戦相手にインタビューすることで、強さの秘密を探ろうとしたことが冒頭で述べられる。
筆者はさまざまなボクサーにインタビューをする。
井上選手と戦って、散ったボクサーたちにインタビューをしていく。
戦って負けた嫌な記憶を、掘り起こして嫌な思いをさせないか、不安を抱えながら。
しかし、インタビューに応じたボクサーたちは、率直に語る。
時に試合の様子を、身振り手振りで再現しながら。
悔しさを滲ませることはあっても、井上選手に向けた憎しみはない。
むしろ、対戦したことに誇りを持った人までいるくらいだ。
もちろん、敗戦の受け止め方や乗り越え方もボクサーたちによって違うし、それによって辿った未来も人それぞれだったりする。
敗戦を糧にして、チャンピオンになった人。
敗戦を乗り越えられずに、まだ燻っている人。
敗戦を機に現役を退き、新しい道に進んだ人。
個人的に印象に残ったのは、以下の2つの章。
・第四章 伝説の始まり(オマール・ナルバエス)
・第五章 進化し続ける怪物(黒田雅之)
第四章に登場するオマール・ナルバエスはアルゼンチンでも英雄と称されるボクサー。
取材でアルゼンチンに向かった際に乗ったタクシーの運転手も、彼も褒め称えているくらい。
この英雄に敗戦した試合のことを聞いていいのか、と思いながら取材する著者とは裏腹に、オマール・ナルバエスは、身振り手振りを交え、克明に試合を解説してしてくれる。
井上選手に敗れた際、グローブの下に何か仕込んでいるのでは、と疑ったものの、巻いていたバンテージを外したら何も仕込まれてなかった。
オマール陣営は疑ったことを詫びて「チャンピオンイズ、グレート!」と井上選手を称えた。
その後、オマール・ナルバエスは現役引退し、後進の指導に舵を切った。
この本の最終章に、この井上戦を間近で見て泣いていたジュニアが登場し、父:オマールと練習しているところは感慨深い。
第五章で登場する黒田雅之は、試合では井上選手と対戦していないものの、長く井上のスパーリング相手を務めた人。
本を読んでいると真面目でストイックな印象を受ける。
重ねる井上選手の実力が上がるにつれ、威力が増していくパンチを見て脅威を覚えながら、自分自身の鍛錬もしていた。
しかし、ある時、スパーリングを続行できないほどの衝撃を受けて、井上陣営に謝罪する一幕があった。
その後、引退を決め、井上選手と対面した際、「黒田さんとのスパーリングは嫌でした」と明かされ、ボクシングを続けてきて良かったと思えた話でちょっと泣きそうになった。
勝っても負けても人生は続いていく。
失敗したからといって人生は終わりではない。
結局のところ、挫折や失敗をどう乗り越えるか、その後の道の選択はその人にしかできない。
ボクシングにそこまで興味がない私でも、この本を通じて考えさせられることがあった。
ボクシングに興味がある人も、ない人も是非この本を読んでほしい。