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“あるあるに始まりあるあるに終わる” 芥川龍之介の「トロッコ」が何故面白いのかを考える。

※この記事は約1100文字です(2~3分で読むことができます)。

どうも、宇宙ゴリラです。
本日は、芥川龍之介の名作『トロッコ』が「何故面白いのか?について考えます。
※本記事は、あらすじ・登場人物についての説明は行いません。

『トロッコ』の魅力=「あるある」

トロッコには大きく分けて3つの「あるある」が散りばめられています。

1つ目のあるあるは
「物を勝手に触って怒られる」
→作中では、主人公の良平が村外れにあるトロッコを勝手に触って怒られる。

2つ目のあるあるは
「知らない場所に行き不安になる」
→作中では、トロッコに乗せてもらい遠くに来たところまでは良かったのですが、急に「帰れ」と言われて夜道を歩いて帰ることになります。

この2つの「あるある」は、誰もが子供時代に経験しうる出来事です。特に2つ目の「知らない場所に行き不安になる」は似たような経験をしたことがある方、かなりいると思います。私も、幼少期に知らない道を一人で歩いた時に感じた「もう家に帰れないんじゃないか」という不安は今も忘れることは出来ません。

『トロッコ』の内容のほとんどが、良平(主人公)の幼少期の出来事について描かれているのですが、最後のオチで一気に時系列が飛び、大人になった良平の視点に切り替わります。何故視点が切り替わったかというと、最後のオチにあたる3つめの「あるある」に繋げるためです。

3つ目のあるあるは
「人生に対するぼんやりとした不安」
→良平は、この「ぼんやりとした不安」を幼少期に感じた「トロッコを降りて一人で夜道を帰る不安」と重ね合わせて物語を締めくくります。

確かに、「人生に対するぼんやりとした不安」と「トロッコを降りて一人で夜道を帰る不安」は似ているように思います。この「人生に対するぼんやりとした不安」というのも、大人になると感じる「あるある」ですよね。

幼少期の「あるある」から大人になってから感じる「あるある」。正に「あるある」に始まって「あるある」に終わる。短い作品の中に、これほどの展開を詰め込む、芥川龍之介の構成力には脱帽します。

余談

学生の時に、この『トロッコ』を読んだときはさほど魅力を感じませんでしたが、大人になって読み直すとと「こんなに面白くて、考えさせられる作品なのか!」と驚かされました。作中での良平の年齢に、自分の年が近づきつつある今、彼と同じく「人生に対するぼんやりとした不安」を感じています。この不安に押しつぶされそうになることも、しばしばありますが、なんとかどっこい今日も生きています。たぶん明日からも生きていくでしょう。ぼんやりとした不安との向き合い方、誰かに教わりたい。そんな日々です。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。


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