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人生の縮図?名作「老人と海」を考える。

この記事は約1600字です(4~5分で読めます)。

どうも!宇宙ゴリラです!
本日は、アーネスト・ヘミングウェイ作「老人と海」が何故面白いのか考えていきたいと思います。ノーベル文学賞受賞の決め手になったと言われている「老人と海」が面白いのは当然のことなのですが、僕なりにどこが面白かったのか考えてみたいと思います。

老人と海のあらすじを起承転結で

①起

84日間、魚が取れずに仲間から馬鹿にされる老いた漁師「サンチャゴ」。サンチャゴの事を慕ってくれている少年「マノーリン」も、父親からの命令でサンチャゴを見限るように命令されます。

②承

海に出たサンチャゴは、今までにないほど大きな魚に出会い捕まえようとします。魚との闘いは、3日間も続き満身創痍になりながらもなんとか捕獲にこぎ着けました。

③転

魚との闘いを終えて、港に戻ろうとするサンチャゴの船にサメが襲い掛かります。満身創痍のサンチャゴはほとんど残っていない体力をふり絞りサメと戦います。

④結

奮闘むなしく、港に着くころには、魚の大部分がサメに食べられてしまい骨しか残りませんでした。港に戻ってきたサンチャゴは慕ってくれている少年「マノーリン」と再会し、再び一緒に漁に出ることを約束します。

「老人と海」の面白さは「人生の縮図」であること

「老人と海」はタイトル通り、老人と海を中心に話が展開します。老人が主人公の物語は意外とあるのですが「老人と海」はその中の代表作品でしょう。主人公のサンチャゴは既に全盛期が過ぎ、周りから馬鹿にされています。しかし、サンチャゴは若いころ怪力で知られ、それなりの人気があったことも示唆されています。

この「若さ」というものを喪失した状態から話は始まります。
さらに、話の冒頭で自分を慕ってくれている少年「マノーリン」も失うことになります(一緒に漁に行けないという意味)。通常、年を取ると弟子を取ったり、育成をする立場に回ることが多いですが、その機会すらも失ってしまいます。

若さも名声も、慕ってくれる少年すらも失ったサンチャゴ。そんな状況でもサンチャゴはいつも通り、漁に出かけます。

漁に出たサンチャゴは大きなカジキを捕まえ、名声を取り戻すチャンスに恵まれます。しかし、そのカジキもサメに食べられてしまい、失ってしまう。

作中でのサンチャゴは喪失の連続です。
手に入れたと思ったそばから、失っていきます。

満身創痍で港に戻ってきたサンチャゴを待っていたのは、慕ってくれていた少年「マノーリン」でした。色んなものを失ったサンチャゴでしたが、最後の最後に慕ってくれる存在と再会を果たします。

老年期に入り、色んなものを失っていく中で最後に残ったのは自分の意思を継いでくれる「マノーリン」という存在でした。色んなものを失いはしましたが、最後には友を獲得する。とても綺麗な終わり方に思えます。

しかし、これで終わらないのが「老人と海」。オチで爆弾を残して終わっていきます。


というのもオチでは、サンチャゴが捕まえた魚の骨を見て給仕が「ティブロン……いえ、サメです」と言うシーンがあります。

このシーンが意味深で一部では本当は魚を取ったこと自体が夢ではないのか?という意見があるそうです(普通に読むと、サメに食べられたことを説明しようとしているように思える)。

最後に得た慕ってくれる「マノーリン」の存在すらもひっくり返しかねない、このオチは非常に解釈が難しいです。

この作品をどのように受け取るかは人それぞれですが、僕は「老人と海」は人生の縮図に見えて仕方がありません。
老後の人生を約150ページにギュッと凝縮したような作品だからこそ、読んでいて面白くノーベル文学賞に繋がったのかなと僕は思いました。


老人と海を読んで
「サンチャゴのような老後を避けるために努力をするも良し」
「サンチャゴのような老後を受け入れるも良し」

どの年代が読んでも楽しめる「老人と海」。
読んで自分が老人になった時のことをゆっくりと考えてみては如何でしょうか。

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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