研究者にとって本当に大変なのは失語症
医学書院「『ことばを失う』の人類学:わたしをフィールド・ワークする」_第6回 ゴリラの絵が待っていた
http://igs-kankan.com/article/2021/11/001376/
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わたしの後遺症を見て、人が最初に気が付くのは右半身の片まひでしょう。しかし、片まひよりも、もっと大変だったのが失語症でした。片まひはわたしが動くのを見ていれば簡単に分かります。失語者はじっとしていると分からないのです。しかし、わたしは研究者ですから、文章を読み、文章を書くことを生業(なりわい)にしています。ですから
「そのわたしが適切な言葉を思い付かなかったり、思い出せなかったりするのならば、これは致命的です。まず論文が書けません。この「『ことばを失う』の人類学」のような文章も書けなくなります。言葉が出ないのなら講演もできません。その前に、電話にも出られなくなるでしょう。わたしはこれからの生活を想像して愕然としてしまいました。」(第6回 ゴリラの絵が待っていた)
最初は、まさに愕然とという言葉がぴったりの状態でした。わたしの場合は「喚語(かんご)困難」や「語想起(ご・そうき)の障害」と呼ぶ障害でした。適切な言葉は、脳内言語の段階では分かっているはずですが、言語音に変換できないのです。
でも、本当のことを言うと「何とかなるさ」という気持ちも、どこかにありました。「何とかなるさ」は投げやりな気持ちとは違います。あえて文章にするなら、「今はどうなるのか、皆目見当もつかないが、でもどこかに解決策があるに違いない。そう信じて、解決される時まで待っている」という気持ちに近いでしょうか。わたしは本質的には神経質なのですが、それでいて、結構、楽天的なところもあるんだと思います。
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多くの失語症者は、表音文字、つまり平仮名や片仮名が苦手になります。言葉としては知っているはずなのに、「何のことか理解できない」という失語症者は、よくいらっしゃいます。ですから、表意文字、つまり漢字表記の方が分かりやすかったりします。それと共に、「ルビを振る」と文章の繋がりが分からなくなるという方がいらっしゃいました。「ルビを振る」という行為は、小学校低学年のまだ識字能力があまり備わっていない人や知的障害者には、文章を分かりやすくするために推奨されることがあります。ところが失語症者には、「ルビを振った文章」はかえってややこしくなり、理解を妨げることになる場合があるのです。
実を言うと、わたしに「読み」が難しい人の困難は、ピンと来ないところがあります。実感として障害の本質が分からないのです。しかし、大学以外に、博物館という生涯学習施設にも籍を置いていましたので、何とか「読み」の難しい失語症者を含む多くの人に、「読み」や「聞こえ」を届けるにはどうしたら良いのかを工夫していました。例えば展示の解説をどう書いたら良いだろうと工夫してみたのです。その実例が以下の図です(三谷,2011,45ページの図2)。https://www.jstage.jst.go.jp/article/hitotoshizen/22/0/22_43/_pdf/-char/ja
尋常小学唱歌「大黒様」をコミュニケーション障害者向けに直したもの(三谷,2011,45ページの図2)
これは、わたしにはピンと来ないながらも、障害当事者の皆さんに助けられて作ってみた「(失語症者とは限らないが、比較的、失語症者が多い団体の)コミュニケーション障害者に分かりやすかった文章」です。なるべく表音文字である平仮名を、表意文字である漢字に置き換え、文章を分かち書きし、ルビは括弧「()」で閉じています。失語症当事者や失語症者のコミュニケーション支援者――「意思疎通支援者」が正式な呼び名です――の皆さん、いかがでしょう。分かりやすくなっていますか?
ちなみに「失語症」は医学的、生物学的な概念ではなく、医療行政上の福祉の対象者という色彩の強い概念です。
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