書く瞑想 ヨガの聖地でスワミジと出会う
リシケシのシヴァナンダアシュラムを訪れたとき小さなレセプションで、オレンジ色の服を着た白髪のスワミジ(出家者)に会いました。
スワミジはわたしにベンチに座って待つように言いました。一時間ほど待つことになりました。スワミジは無言で古い分厚いノートにペンをサラサラと走らせていました。
暇なので私もリュックからノートを取り出して、今の思考の全てを文字に起こしていきました。「アーティスト・ウエイ」の著者ジュリア・キャメロンが提唱しているワークで脳の排水と呼ばれています。思考を止めず肯定も否定もしない。流れるように綴っていくいわば書く瞑想です。
スワミジはふと手をとめ
「何を書いているんだ?」と尋ねてきました。
「自分の思考です」と答えました。
「何を書いているのですか?」今度は私が聞きました。
「マントラだ」スワミジはノートをめくって見せてくれました。サンスクリット語で同じマントラが何ページも何ページも書き連ねられています。
リキタ・ジャパ。そういう瞑想法は聞いたことがありました。スワミジは毎日ここでマントラを書き続けているのでしょう。
「日本でヨガは盛んなのか?」
「はい、ヨガをする人は増えています」
「1クラスいくらするんだ?」
え?
これだから、インド人はなぁ〜、
俗世から離れた静かな場所でもお金の話が出る、想定外すぎて笑っちゃいますw
「ピンキリです」をなんと言っていいものか?
私の拙い英語で少し話したあと、スワミは再びマントラを書き始めました。わたしも再びノートに向かいます。薄暗い室内にペンの音だけが響きます。通りの喧騒が嘘のようにここは静かです。
ふとペンがとまりました。「君はここへ何をしに来たのか」
不意に思考がシヴァナンダ先生の形をとり、わたしに尋ねてきたのです。
「わたしは何をしにここへ来たのか?」
シヴァナンダ先生の本を読んでリシケシを訪れた。日本にいるときはここに来ることが必然のように感じこの場に来れば何かが得られるような気になっていた。しかし、現実は、女性向けのヨガクラスは今は閉講していた。
「何をしにここへきたのか」自分に問いかけた。
得たいものを受け取りに来たのではなく、大切なのは今この瞬間、
「ここにきて何を感じているかです」
わたしは今の状況を案外楽しんでいました。ヨガを受けたいという希望は叶えられませんでしたが、小さな受付でスワミと二人っきり静かにお互いノートに己を映し出しているのです。
この静かなひととき、わたしは大切に心に仕舞うことにしました。一生この光景を忘れることはないでしょう。