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#6 お通夜の価値【後編】


こんにちは。
~蓮華の笑顔で花道を飾る~
株式会社花道代表の木下英之です。

「お通夜」の価値について、後編をお届けします。

1.最近のお通夜〜コロナ禍での変化〜

この週末はお通夜の予定です。

18時からのお通夜。お食事もお出しします。4月になって火葬場から人数制限の解除などのお知らせも届いています。

5月8日から新型コロナウィルスの扱いも、季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下がるので、そこからがまた色々と動きがあるかもしれません。



コロナによる1度目の緊急事態宣言が解除されて間もない2020年6月、とある斎場で「オンライン葬儀」を実施しました。
お身内中心のお通夜を斎場で行い、その模様を参列できないご家族にリアルタイムで中継、参加してもらいました。

その時の様子をアメブロにまとめてあります。
https://ameblo.jp/hanamichi-kinoshita/entry-12607540846.html

この期間中は、オンライン葬儀やドライブスルー参列など目新しい試みがありましたが、必ずしも定着したとは言えません。

ただし今後の葬儀の在り方を考えるにあたり、決して一時のブームでは終わらないように思えます。

また、お通夜を行わない「一日葬」が非常に多くなりました。「家族葬」が多くなり、「密」にならない葬儀がほとんどの状況であるにも関わらず、お通夜を省き、告別式だけの葬儀が多くなりました。

こういったものは、風潮、雰囲気によって割と大きく変わっていくのかもしれません。
時代は変わっても、故人様を思う気持ちは変わりませんが、だからといって、その価値を言語化出来ないものは、いつの間にか消えてなくなってしまいます。

お通夜を行う意味、その価値を1分間にまとめて話せる関係者は何人いるでしょう?

同じように、お通夜を行わない価値を1分間で話せる関係者は上記より多いと思うのですが、ご葬儀にまつわるお仕事をされている皆さんはいかがでしょうか?

もし、そうだとしたら、葬儀の簡略化を望むお客様に、お通夜を行うようにお話させていただくことは出来なくて当然ですよね。

2.「死」の現実と「生」の意味

前編でお伝えしたように、今回はお通夜の価値を考えるにあたり、色々な資料を集め、記事を作らせていただきました。
(前編はコチラ➡https://note.com/goonsougi/n/nbe0e94f21d02

その中でも特に殯(もがり)は初めて知った風習でした。

「死」「ご遺体」は決して綺麗なものとは限りません。どんな絶世の美女であっても、時と共にご遺体は腐敗し、見るも無残な姿になります。

コロナ禍において通院も出来ず、自宅で孤独死、死後数週間~数か月後に発見された方も多くいらっしゃいました。とてもお別れが出来る状態ではないので、納体袋(ご遺体専用袋)に納まり、お顔を見てお別れすることもなく火葬となります。

これが現実であり「死」そのものです。

詳しい記載は避けますが、自殺のご遺体や事件事故に巻き込まれたご遺体は、見るも無残なお姿となってご家族のもとに帰ることも珍しくない。これも現実です。

その「死」を目の当たりにする事で、「生」の価値や意味を知る。古代の日本人が当たり前に行ってきた事を、現代ではお通夜の場を借りて行っている面もあるのかなと思います。

葬儀社のバイブルでもある「葬儀概論」にはこのような記述があります。改めて考えさせられます。

・・・遺族にとって死者はまだ完全な死者として認められた存在ではなく、生と死の境界線上にあって気持ちが揺れ動き、矛盾に満ちた状態にあります。事実、遺族の心情においてはまだまだ生きている家族なのです。こうした遺族の心情を大切にして通夜を過ごしたいものです。
遺族が亡くなった方を囲んでお別れのための充分な時間をもつということは通夜の大切な機能なのです。

~碑文谷創 著 改定 葬儀概論 より~


3.今後の葬儀~お通夜の価値~

いつの時代も「死」にまつわる話題は避けられてきた風潮があります。確かにそれを直視出来る強い人ばかりではありません。ただ、日本人はそのコミュニティにおける葬送儀礼を踏襲することで、その意味を自然な形で学び活かしていたのではないでしょうか?
適切な畏れ、故人様への敬意。そして命の儚さ、無常・・・

それを見聞きし感じる機会を失うことにより、命そのものが軽んじられているということはないでしょうか?
ニュースを見れば日替わりで簡単に命が奪われていきます。今も戦争で多くの命が儚く失われています。これも、「死」に対する想像力の欠如が原因の一つではないかと考えます。

ご葬儀の現場においては、さっきまで式場で談笑していたご遺族が、火葬炉に故人様が入る時に急に号泣するような場面があります。
その瞬間をもって、「死」の現実を受け入れるようなシーンです。つらい事ではありますが、その時はもう故人様のお顔を見ることも、話しかける事も出来ません。

今年の1月~3月まで、各地の火葬場は大変込み合いました。没日から火葬日までが10日以上ということも多々ありました。一方で家族葬➡一日葬➡直葬(火葬式)とご葬儀に関わる時間は反比例して短くなってきました。

例えば、「ご葬儀の時間」をお通夜・告別式の2日に限定せず、没日から告別式までの時間だと再定義し共有することで、たとえ一日葬や直葬であったとしても、何か出来ること、故人様にも見送る家族にとっても価値ある葬儀の時間を作り出す事は出来ないでしょうか?
(そんな内容を綴ったブログ➡https://ameblo.jp/hanamichi-kinoshita/entry-12787861579.html

私たち「死」に携わる者は、古くから意味あるものとして残ってきた葬送儀礼を、現代にあわせながらもその本質を忘れずにもう一段、螺旋階段を上るようなそんな取り組みをしていくことを心がけていきたいと思います。

おわりに

コロナ禍のもとに「お通夜」という重要な時間を失いました。失ったからこそ今こうしてその価値を考える時間が出来ました。故人様がお亡くなりになったという現実を受け入れ、お別れの準備をし、悔いのないお別れをするためにも、今一度この「お通夜」の価値を見直してみることも大事だと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?                                                                                                                                                                                       

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