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潰瘍性大腸炎の急激な悪化による入院


2023年8月3日(木)入院

本意ではないですが多分、今から書く内容は同じ病気の人を恐がらせてしまうのかもしれません。ただ、楽観的に捉えていた僕はある日、急激な病気の悪化をお越し地獄のような経験をしました。

もし、読まれる方がいるとすれば以下のように考えて読んでいただけると嬉しいです。

①潰瘍性大腸炎の最悪のケースの参考
②最悪のケースの後日談

急激な病状の悪化

潰瘍性大腸炎は免疫異常の病気です。本来自分のカラダを守ってくれるはずの免疫が異常行動で自分のカラダを攻撃してしまいます。そのため、大腸の粘膜にびらんや潰瘍をつくってしまい痛みを起こします。大体の場合、薬で寛解維持(落ち着いた病状で日常生活を送れる)ができます。しかし、2023年7月末。僕のケースは原因不明で急激な悪化をお越し、「激痛」「血便」「絶食」の3本柱で一気に衰弱しました。欠かさず薬は毎日服用し、食事と運動、睡眠などにも気を使いながら生活してきたのに“なぜだ!!?”という気持ちが頭の中を占有し、きっと一時的なものだと思いましたがあまりの痛みとたった3日程度で絶食に近い状態からみるみる痩せていき、病院へ行きました。その日に入院するように言われ入院生活へ入りました。

絶望的な痛み

内科治療に望みをかけ治療が開始をしました。内科医からは1ヶ月の入院を伝えられその間は絶食で点滴で命をつなぎ、潰瘍性大腸炎の内科治療をする方針に僕は同意しました。短期間であらゆる内科治療を取り組みますが、免疫を大幅に下げる強い薬もあるため衰弱したカラダがもつか心配はありましたが続けました。僕の場合、夜22時から痛みが強くなり始め、痛み止めの点滴を打ちますがアセリオは全く効かず、ロピオンもほぼ効いている感覚がありませんでした。痛みはどんどん増し、ベッドでのたうち回りお手洗いに這っていくとバッと血が吹き出ます。痛みが激しく過呼吸になり、ブザーを押す日々が続きました。これが朝の5時まで続き半ば気を失うように寝るような毎日でした。衰弱し、体重は20キロ落ちて50キロになりました。太ももが二の腕くらいの細さになり、声がほぼ出なくなりました。片腕では点滴を打つところがなくなり、両腕に点滴を差しました。血管も細く硬くなり血管炎も患いました。字のごとく満身創痍でした。この頃、また夜からあの地獄のような痛みを朝まで7時間も味わうならもう死にたいと考えるようになりました。この境地になると、死ぬのは恐くなかったのですが、とにかく痛みの方が恐かったのです。

救世主「ソセゴン」

限界であるのを見かねた看護師さんが担当医に掛け合ってくれ、強い痛み止めの使用許可を取ってくれました。

「ソセゴン」とは:
この薬の作用と効果について
中枢の刺激を伝える経路を抑制することにより、痛みをおさえます。
通常、癌における疼痛の抑制を目的として用いられます。
※出典元:一般社団法人くすりの適正使用協議会より抜粋

正直、幻覚作用や中毒性があるため医療従事者はあまり打ちたくないという話も看護師さんから聞かされましたが、お願いをしました。ソセゴンの効果はてきめんで3時間くらいは全く痛みが止まりました。見ているものがオレンジがかって見え、投与中は自分が病気ではない気さえしました。

内科治療全滅


潰瘍性大腸炎の寛解に向けた治療薬

入院から1ヶ月。カラダはぼろぼろになりました。大体は「ステロイド点滴」で良くなるはずが、僕はだめでした。但し、アメリカでもよく使われる治療で効果に期待ができる「レミケード点滴」がまだあり、期待を寄せておりましたがこちらも効果がありませんでした。担当医からリスクはあるが免疫抑制薬(タクロリムス)を試すかを問われ、僕は頷きました。

8月24日(木)18時。
いつも来ない時間帯に神妙な表情をして先生(担当医ではない内科医)が来ました。
医師「数値(CRP/炎症)に変化がなく」。
医師「・・・・・・・・・・(沈黙)」
医師「大腸を全て取るしかないかもしれません」。
僕「えぇー・・・」

つづく


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