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「有限」と「無限」の心地よい方を自分で選ぶ

今日は、かなり暑くなりました。
母は暑くなるとよく言うのですが
「昔は、真夏日でも30度を越えることなんてなかったよ」と

そして、先日も明け方4時頃
ものすごい雷と大雨がありました。
その時、親戚のおじさんが
「すごかったな~
なんか文句でも言いたそうな雨と雷だったよ」と。
確かに、
なにか言いたそうな、と言われればそんな感じ。

天候は、荒れに荒れていて
私の周りでも体調を崩す人が増えています。
この自然界の荒れ具合は、
まさに無限でございます。

最近、
時間がある時に歴史の本を読むことが
あるのですが、
歴史は
有限→無限になる物語
だという感じがします。

ヨガの経典の中でも
「昔は有限だった。今無限になった」という一説があります。

古代~中世~近代に向かって
だんだん、無限になっていきます。
人口も、経済も、インフラも、人間の欲の度合いも。

昔は有限でした。
前に佐賀県にある吉野ケ里遺跡に行ったことがりますが
茅葺屋根の下の小さな空間で
シンプルに暮らしている様子が
秩序があって、整っていて
なんだか心地良い空間が広がっていました。

佐賀県吉野ヶ里遺跡

現代はというと
生活は、何でもアマゾンや楽天で注文することができ
無限でございます。

秩序も何もない
現代の天候と、現代の暮らし。
飛行機があれば、
どこへでも行け
宇宙にも行けて
無限でございます。

多様性の社会といいますが
多様性が心地が良いかどうかは
かなり微妙なところ
と感じております。
(私には混沌として見えます)

昔より便利になった。
AIが仕事をしてくれる。
といいますが、

はて、
自分の心地よさはどこにあるのか?

この無限の極みにある
世界ので

私はあえて
原始的な時代のように
有限でいられる時間や空間も
大切にしたいと思うようになりました。

たまに
ゆっくりしたいときは
スマホを黒い袋にしまって
有限の時間を楽しむようにしています。

みなさんは、有限と無限、どちらが
心地よいと感じますか?

「有限」と「無限」、
心地よい方を自分で意識して
選んで見ると
ちょっぴり「生きやすく」
なるかもしれません。

最後まで読んでいただき、有難うございました🌷




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