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愛聴盤(27)クルト・ザンデルリンク"Legendary Recordings"
日本にもファンの多い名指揮者クルト・ザンデルリンク(1912-2021)。この指揮者の魅力について語っていこうと思う。
ザンデルリンクは、プロイセンの出身だが、ユダヤ系だったことから、ナチスにドイツ国籍を奪われ、1935年にソヴィエト連邦に亡命。モスクワからレニングラードに移り、ムラヴィンスキーの下で研鑽を積みながら、20年にわたりレニングラード・フィルの黄金期を支えた。若い頃から実力者だったことがうかがわれる。
1960年に東ドイツの要請で帰国。設立間もないベルリン交響楽団(現在のベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)のレベルを大きく引き上げた。いわゆる「東側陣営」の指揮者だったが、クレンペラーの後継者としてフィルハーモニー管弦楽団の指揮もしたし、何回か読売日本交響楽団の客演のため来日もしている。
こうした経歴から、彼はベートーヴェン、ブラームスといった独墺系の音楽に加え、ショスタコーヴィチもレパートリーに入っている。
私は、edel Classicsでリリースされていた"Kurt Sanderling Legendary Recordings"というCD16枚入りのボックスを持っている。1960年から1983年という冷戦期において、サンデルリンクが東ドイツのオーケストラを振った演奏が集約されているのだが、とても内容が濃い。
この中で、私が個人的に愛聴している盤を紹介したい。
<CD3>ブルックナー:交響曲第3番(1889年版)
ただ一言。素晴らしい演奏である。この曲の代表盤と言っても良いかもしれないレベルの高さだ。
この演奏は、随所で確信に満ちた音楽が響く。アグレッシブだが、どっしりと安定している。ゲヴァントハウス管弦楽団のサウンドは、我々が東独のオーケストラに期待する音色そのもので、重心が低く渋い音色がする。ザンデルリンクはそれを見事にドライブしていて、重厚でありながら緊張感があって、中身がギュッと詰まっている。聴かせるべきところはじっくり聴かせてくれるので、ブルックナー好きにも歓迎されるだろう。1963年録音とは思えない音質の良さも魅力。
余談だが、ザンデルリンクのブルックナー録音では、1999年にシュツットガルト放送交響楽団を指揮した第7番のライブ録音がある。これまた名演奏。指揮者の人間性を感じさせろ名演奏だ。第二楽章のクライマックスのシンバルは無し。
<CD10>ショスタコーヴィチ:交響曲第8番
クルト・ザンデルリンクは、ショスタコーヴィチと直接交流があった指揮者の一人だ。ソヴィエトに居住する間に、第二次世界大戦を経験した彼は、ムラヴィンスキーが交響曲第8番の初演時点でソヴィエトにいた。初演に立ち会ったかはわからないが、作曲家と同じ時代を共有している。
戦況の詳細がソ連の一般市民にどこまで届けられたか知る由もないが、ショスタコーヴィチは、どのような思いでこの時代を生きたのだろうか。また、ユダヤ系とはいえ、ドイツ語圏出身のザンデルリンクの立場はどうだったのだろう。
第二次世界大戦の戦況の転換点になった「スターリングラードの攻防戦」の犠牲者の墓碑として書かれた交響曲第8番ハ短調。極めて悲劇的な音楽だ。ソヴィエトの戦況が好転していたことから、当局は第7番路線の延長戦上の、大戦の勝利を称賛する内容の曲を望んでいた中で、ショスタコーヴィチは、内心では決して共産党に迎合せず、音楽をもって抵抗し続けた。魂まで売り渡さなかった彼が書いた交響曲第8番は、凄惨な独ソ戦の惨状や人間の愚行を、交響曲という絶対音楽の枠組みの中で表現した傑作である。
ザンデルリンクの音楽から、ムラヴィンスキーのような凍り付くような厳しさは感じない。しかし、彼が鍛えたベルリン交響楽団は、このシリアスな性格の音楽を精緻に鳴らしきる。ドイツのオーケストラゆえ重心が低い。金管もスネアドラムも重々しい音色で、耳をつんざくような音ではない。第三楽章がすごい。全奏者が整然とリズムを刻む様は、非人間的な軍隊の行進のようでもあり、社会主義体制の「右向け右」体質への強烈な皮肉。巨大な戦車のように突き進むような重厚な超ド級の音楽。第四楽章は、暗さの中に、どこかヒューマンな温かさがある。第五楽章の終末に訪れる祈りのような響きも印象深い。
次号へ続く