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#47_子どもの「背景」に思いをめぐらせる

学校にはいろんな子どもたちがいます。

子どもたちは「ある場所」から「学校」へやってきて、「学校」から「ある場所」へと帰っていきます。

子どもたちが「学校」で見せている姿は、「学校」だけで形作られてきたものではありません。

子どもたちが「学校」で見せている姿は、「学校」と「学校以外の場所」の両方で形作られてきたものです。

そんな当たり前とも言える事実に、今、改めて向き合いたいと思います。

子どもたちが、学校で、何かを成し遂げたとします。そのとき、私たち教師は、だいぶ、都合のいい人になります。「私がアレを教えたからだ」「私の指導があったからだ」と、子どもたちが成し遂げたことの原因になりたがります。でも、本当はそうじゃありません。子どもたちが「学校」をはじめとするいろんな場所で、いろんなかたちで培ってきたものが、たまたま「学校」という場で、それもたまたま「私に見えているところ」で実を結んだだけです。

子どもたちが、学校で、何か失敗をしたとします。そのときも、私たち教師は、だいぶ、都合のいい大人になります。「家庭がしっかりしていないからだ」「本人が努力しないからだ」と、子どもたちが成し遂げられなかったことの原因を、学校以外の場に、教師以外の立場の人間に求めようとします。でも、本当はそうじゃありません。子どもたちが成し遂げられるように適切なサポートができなかった私たちの側に、その責任の一端があるのだと思うことが大事なのです。

子どもの「背景」に思いをめぐらせることは、「子どもたちの成長の原因になりたがる私」が顔を出すのを押しとどめてくれます。

子どもの「背景」に思いをめぐらせることは、「子どもたちの失敗の原因になりたがらない私」に、ちゃんと顔を出すように促してくれます。

今、目の前にいる子どもたちは、生まれてから今日まで、その子どもたちに関わった/関わっている/関わり続けている、たくさんの人たちを背景としてはじめて、リアルに、鮮やかに、そして、生々しく浮かび上がってくるのだと思います。そのリアルさを、鮮やかさを、そして、その生々しさを、いつでも受け止められる感受性を磨いていきたいと思います。



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