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#16_「暇」をつくりだす

「ナスビ学校」には「暇」があります。先生たちがゆったりと1日をスタートさせ、ゆったりと子どもたちと関わり、ゆったりと1日を終えていきます。

先生たちは「暇」があるからこそ、子どもたちとゆったりじっくり関わることができます。先生たちは「暇」があるからこそ、「明日の授業をどうしようか」と考え、準備することができます。先生たちは「暇」があるからこそ、早く家に帰って、家族との時間を大切にしたり、自分の趣味に没頭したりすることができます。

このようなことをわざわざ書くということは、今の学校に「暇」がほとんどないということの裏返しです。

とにかく「暇」がありません。

勤務時間前に教室に行き、子どもたちの検温をして、先生たち同士の打ち合わせをして、急いで教室に戻って、健康観察をして、朝の会をして、いろんな提出物を集めて、欠席した子どもの家に電話をかけて、1時間目から4時間目まで授業をして、空き時間があったとしても、子どもたちの「生活の記録」や「家庭学習ノート」をチェックして、慌ただしく給食の準備をして、ごはんを食べて、昼休みは子どもたちの相談にのって、5時間目から6時間目まで授業をして、清掃をして、帰りの会をして……。帰りの会終了5分後には「勤務時間の終了時刻」がやってきます。

こうして言語してみると、あらためて、先生たちはとんでもない毎日を過ごしているのだなあと実感します。自分をほめたくもなります(笑)

「暇」がほしいのです。

「暇」をつくりだすためには、やはり、何かをカットしなければなりません。

朝のスタートをゆったりさせるためには、朝読書や朝自習を思い切ってカットする勇気が必要かもしれません。もし朝読書や朝自習をカットできたら、登校してきた子どもたちとゆっくり話ができるようになります。子どもたち自身も、自分にとって必要な活動にその時間を使うことができるようにもなります。そして何より、「カットするかどうか」を議論することによって、その活動が持つ(持っていた)目的や意義を確認・点検することができるようになります。

さらにさらに……。

「暇」は「先生たちのアップデート」につながる可能性があります。毎日を忙しなく動き続いている先生たちは、自分自身をアップデートする暇がありません。本を読んだり、同僚と意見交換したり、研修に参加したり、学会に行ったり……。そんな暇がありません。もし「暇」があったのなら、先生たちはその時間を使って、自分自身のアップデートをすることもできます。そしてこの「先生たちのアップデート」こそ、子どもたちにとっては何よりも重要なことなのです。「自分がそう教わってきたから、教師になった今、同じように教える」といった、アップデートされていないままの教育思想・教育方法だと、今の子どもたち、そして、これからの子どもたちに合わない部分が出てくるはずです。また、先生たちがアップデートするほどに、子どもたちはこれまで知らなかった世界に目を開いていくことにもなります。

「ナスビ学校」には「暇」があります。先生たちがゆったりと1日をスタートさせ、ゆったりと子どもたちと関わり、ゆったりと1日を終えていきます。そして、先生たちは「暇」を使って、「自分自身のアップデート」を楽しむようになります。


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