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#58_「私はうんこになりたい」

とんでもないタイトルで申し訳ありません。

「私はうんこになりたい」というメッセージは、私の教育観を見事なまでに表現してくれています。

中学校3年間をともに過ごした子どもたちを送り出そうとするとき、自然と生まれてきたのが「私はうんこになりたい」というメッセージでした。

教師は、子どもの成長の原因になりたがります。

子どもたちが何かを成し遂げたとき、教師は心の中で「それは私のおかげだ」「その成功は、私が指導したからだ」「私なんだ」と思いたがります。教師は、子どもの成長の原因になりたがります。そして、子どもたちの方から「先生のおかげで……」なんて言われたら、もう、自己肯定感が爆上がりです。悦に浸ります。「もっと言って、もっと言って」と心の中でおねだりします。

教師は「教師は、子どもの成長の原因になりたがる」ということを自覚することが大切だと、私は思っています。成長の原因になりたがろうとする自分が顔を出してきたとき、教師は全力で自制するべきだと思っています。その自制を成し遂げてくれるメッセージ。それが「私はうんこになりたい」です。

こんな話をしたことがあります。

私は「うんこ」になりたいです。私たちがふだん生活をしているとき、「ああ、私が健康でいられているのは、きっと、あのとき、あの場所で、あの人と、あれを、あんなふうに食べたからだ」なんて思いません。もしそんなことを思いながら生活しているとしたら、それはきっと窮屈な生活であるはずです。私たちは、日々、いろいろなものを、いろいろな場所で、いろいろな人と、いろんなふうに食べて生活しています。そして、私の体内に運び込まれたいろんな食事が、体内で消化され、私自身の血肉となり、排泄物として「うんこ」が出てきます。

子どもの成長の原因になりたがる教師は、「ほら、今、君が健康でいられるのは、あの日、あのとき、あの場所で、私があれを教えてやったからだ」と、わざわざ子どもたちに伝えているのです。こんなふうに「食事のメタファー」で考えると、それがいかに不自然なことかがわかります。

子どもの成長の原因になりたがるのは、不自然なのです。

子どもたちが何事かを成したのならば、それは、子どもたち自身が努力をしたからです。その原因は、子どもたち自身にあります。教師にはありません。

私は「うんこ」になりたい。

しぼりとるだけしぼりとったあとの排せつ物になりたい。

そして、子どもたちが何事かを成したとき、「あ、私、がんばったな」「よし、私は自分の力で成し遂げたぞ」と思えるようにしたい。

私は「うんこ」になりたい。

こんな話をしました。

お口汚しならぬ、お目汚しをしてしまったかもしれません。

読んでいただき、ありがとうございました。

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