#70_歴史を附託される感覚
歴史を附託される感覚を手にすると、自分が所属している組織を「自分のもの」として捉えなおすことができます。
各学校には、それぞれ、今日まで刻み続け、受け継がれてきた歴史があります。その歴史は、しばしば「文化」や「伝統」という言葉によって広く包まれ、新しい世代(新入生)にバトンパスされていきます。そして、そのバトンパスがうまくいったときには、自分が在籍した学校(自分が卒業した学校)を誇りに思うことができるようになります。
しかし、その学校に入学すれば、自動的にバトンパスされるわけでは、決してないはずです。もしそんな〝便利な装置〟があるとすれば、逆説的ではありますが、「文化」や「伝統」という言葉が空疎なものになっていくはずです。
ちょっと前の出来事です。
息子のサッカークラブの総会に出席しました。私は単に「説明を聞きにいけばいいんだろうな」という、軽い気持ちで参加しました。
総会のはじめに、サッカークラブの歴史をまとめた映像を見せていただきました。
サッカークラブがどのような思いをもって結成されたのか。
どのような歴史をたどってきたのか。
ユニフォームのデザインに込められた願いとは何か。
30分くらいの映像でした。とても見応えのある映像でした。
その映像を見ながら、私は「サッカークラブの歴史を附託された実感」を得ていました。
息子はサッカークラブに入ってまだ1年ほどではありますが、私は勝手に「サッカークラブの歴史を引き受けてしまったという実感」と「サッカークラブの歴史を次の世代にバトンタッチしていかなければならないという使命感」を得ていました。そして、シンプルに、そのサッカークラブが好きになりました。
歴史を附託される感覚を手にすると、自分が所属している組織を「自分のもの」として捉えなおすことができます。
スタッフの方々は「紹介」くらいの気持ちだったのかもしれません。
しかし、それを見た私は「紹介」というレベルをはるかに超えた「附託」を感じました。
子どもたちが自分が通っている(通っていた)学校に誇りをもったり、好きになったりするための条件のひとつに、この「附託」があるのではないか。
そんなことを感じながら、後援会をあとにしました。
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