#68_「わざとわからなくする」
探究をおもしろくするための方法のひとつとして「わざとわからなくする」という方法があるのではないでしょうか。
今日の夕方、明日の練習試合のために、息子とサッカーの練習に行きました。組み立て式の小さなサッカーゴールをつくり、PK戦をしました。息子は、いつも、ある戦略を採ります。その戦略とは「わざと相手にゴールを許す戦略」であり、「わざと自分のシュートを外す戦略」です。息子はこれらの戦略を組み合わせながら、「PK戦を続けること」を巧妙に(……いや、でも、わかってしまうのですが……)目指します。
サッカーボールを蹴りながら、「ああ、そうか。『続けること』を目指すのか。この方法は、探究にも通ずるものがあるな」と考えていました。
この「続けることを目指す」という表現。どこかで目にした覚えがあるなと思い、読書ノートで検索をかけてみました。
すると、「オープンダイアローグ」がヒットしました。
PK戦が決着してしまうと、サッカーが終わってしまいます。息子はサッカーを終えたくない(私は一刻も早く終えたい!)。だから、「わざとシュートを入らなくすること」によって、公園に居続けようとします。
探究をおもしろがる子どもたちも、実は、同じような心境なのかもしれません。探究を終えたくない(私も終えたくない!)。だから、「わざとわからなくなる」という戦略をとって、探究の場に居続けようとするのかもしれません。「わざとわからなくなる」とは、答えが出そうになって、探究が終わりそうになることを敏感に察知し、「いや」「でも」「だって」「しかし」「そうはいっても」……といった逆接の接続詞を強引にでも引き出しながら探究を続けようとするのです。
「探究を続けることを探究の目的とする」
探究の本質を言い表せているのかもしれないなあと、夕方の公園で思いました。