#33_目的を忘れるほどの熱中
國分功一郎さんの著書『目的への抵抗』(2023年、新潮社)を読みました。最初の3行で撃たれました。
教師は子どもたちに「その目的は何だろう?」「何のためにやるのだろう?」と問いかけます。それは、子どもたちがActivity trapに陥らないための大切な問いかけです。
しかし、私たちの生活のなかには「目的」を超越する場面を目にすることがあります。國分さんは次のような例を出しています。
私はこの一節を読みながら、探究にどっぷりとハマっていく子どもたちの姿を思い起こしました。
確かに、探究を始めようとするときには、一定の目的があります。「自分の将来展望を想像・創造してみよう」「地域の課題を解決してみよう」「世界とつながってみよう」等々、目的が設定されます。そして、その目的を実現するために様々な探究活動を展開していきます。その中で、探究にどっぷりと浸かった子どもたちは「探究していることそのもの」「探究それ自体」に楽しみを感じ、喜びを見出し、探究に浸っていきます。本当は設定した目的を実現するためだったはずの探究が、目的を超越してしまうのです。こうして、探究それ自体に楽しみを感じ、喜びを見出し、探究に浸った子どもたちは、ある種の幸福感を感じていきます。「探究している私は、なんと幸せなんだろう」「こんなに熱中できるものがあるなんて」という感覚を覚えるようになっていきます。私は、そんな子どもたちと出会ってきました。
そのとき、子どもたちは、自由になっています。
なるほど、もしかすると、探究とは、子どもたちが自分で「自由」を手に入れるためのきっかけ(引き金/トリガー)なのかもしれません。
そう考えると、「どんな仕組みをつくると、子どもたちが自分で自由を手に入れるためのトリガーを引けるか?」という問いが浮かび上がってきます。この問いについて、じっくりと、ゆっくりと考えてみたいと思います。
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