くだらないケンカ。
人はなぜ争い合うのか。
アベルとカインの時代から我々人類にとって常に付き纏う問いである。やっぱりカインのジャンプのダメージは相当のものであっただろう。
思い返してみれば、僕の人生においてケンカというものは非常にくだらないものであったと思う。その時の当事者は、絶対に譲ることのできない自尊感情や、謂れのない攻撃に対する防衛として、その争いは必要であると判断して感情をあらわにする。しかし、過ぎ去ってから思い返せば一体我々は何をそんなに怒っていたのか、まるで有名人の不倫報道と同じように「なんであんなにベッキーが叩かれてたんだろうね?」と、とんと理解不能に陥ることがしばしばある。
僕の人生の中で、くだらなかったケンカをランキング形式でご紹介しようと思う。これを目にしたみなさんが「確かにこのケンカも過ぎ去ってみればくだらないことだよね」と、その振り上げた拳を下ろしていただけることがあれば、これに勝る幸せはない。
第3位 「この道、通ったか通らなかったか事件」
これは僕が二十歳くらいの時に巻き起こしたケンカである。
当時、僕にはお付き合いしている女性がいた。その女性はわりと物静かで、読書が好きな女性であった。穏やかな関係であり、半年ほどしかお付き合いをしなかったが、この日が最初で最後のケンカとなる。
その日、徒歩でバーミヤンに行った帰り道に事件は起きた。彼女の家はどちらかと言えば住宅街といった雰囲気のアパートやマンションが多く単身者向けの住宅が多く立ち並ぶ立地にあった。大きな通りの周囲には多くの細い中通りが賽の目状に広がっており、彼女の家へ向かう道は無数のルートがある。大体、普段通るルートは決まっていたのだが、その日はたまたま普段とは違った道を通っていた。
「この道、前に一回通ったよね」と僕がいうと、彼女は
「いや、通ってないよ」と言い放った。
僕は「いや、通ったことあるから(笑)」と反論する。ほら、あの居酒屋の看板とか見たことあるもん。
「通ったことないって」と彼女。
は?何コイツ忘れてるくせにエラそうじゃね?と、僕の心の中でキングギドラが火を吹く。絶対通ったことあるし。なんかこの道の感じとか、まじ覚えてるし。
「絶対、通ったから」「いや、通ってないって」
以降、無言である。MUGO・ん…色っぽい、である。目と目で通じ合うどころか、下手すればメンチを切り合う仲になりつつあるではないか。工藤静香は、それでもそういう仲になりたいわ、と言うのだろうか。
彼女の部屋に着いてから、どちらともなく「くだらないからやめない?」という宇宙の真理のような正論が放り込まれ、事態は収束した。
今だから言うが、あの時途中から「あ、やっぱ通ってないわ」と気付いたが引くに引けなくなっていたことをこの場を借りて謝罪したい。ごめんなさい。
第2位 「ヨーデル事件」
高校1年生の時の話である。当時、僕は蕎麦屋のアルバイトで死ぬほど働かされて死ぬほど稼いでいた。最低賃金650円くらいの時代に11万円くらい稼いでいたのだから、高校生活と引き換えに11万円を手に入れたと言っても過言ではない。いつもいつもアルバイトに向かう橋の上で「行ったらお店火事になったりしてないかな」などと縁起でもないことを考えていたものである。
しかし困ったことに、お金を稼いでも使い道がない。漫画を買ってもCDを買ってもお金は溜まっていくばかりだ。まったくモテない高校生活だったため、遊びに出かけたり洋服を買ったりということもなく、することといえば外食ばかり。学校が終わればほとんど毎日のようにケンタッキーだの山頭火だのビクトリアだのと高カロリーな食生活を送っていた。
いつも行くのは決まって男ばかりの友人4人組であった。街ですれ違う誰もが「あ、モテないだろうな」と感想を抱くと思しき人物を寄せ集めた異能の小集団である。
そのなかの一人が、毎度びっくりドンキーに行くたびに「ヨーデル」という飲み物を注文するのである。飲むヨーグルトみたいなもんであるが、いつびっくりドンキーに行っても「ヨーデルください」で締める。なんならトイレ行ってる隙に「あ、ヨーデル頼んどいたよ」程度の気遣いならまかり通るくらいの頻度だ。
そんなことを繰り返していると、だんだんと僕以外の二人の中でそれがネタ化してきた。
「あいつ、いっつもヨーデルばっかり頼むよな」
「ていうか、あいつヨーデルなんじゃね」
みたいなノリが出来上がってくるのを僕は横目で見ていた。学校でもなにかあるたびに「ヨーデル(笑)」みたいなことを言っている。いや、何がおもろいねん、と思うであろう。僕もそう思う。
だけど、それが止まらないのが「くだらないケンカ」の「くだらないケンカ」たる所以である。「くだらないケンカ」は不正義としつこさの二つの要素が混ざり合ってできる劇薬なのだ。どちらが欠けても「くだらないケンカ」は起きない。
最終的に、黒板に大きく「ヨーデル」と書いた時点で彼がキレてくだらないケンカは勃発した。しばらくの間、彼ともう二人は断交した。もう二人はそれからも「あいつ、あんなことで怒るなんて、まじヨーデルじゃね」と意味不明な供述を繰り返したが、そんなんだから我々はいつまでも非モテなのだ、とあの頃の僕たちに伝えてあげたい。
ここまで書いて、あまりのくだらなさに若干の後悔があるが、1位を発表するまでは寝られない。くだらないことを書く深夜1時。これは荒行かなにかか。
第1位 「ウインナー事件」
これはつい1ヶ月くらい前に起きたくだらないケンカである。当事者は僕と妻。要するに夫婦喧嘩なのであるが、もちろん非常にくだらない。群を抜いてくだらないケンカなので、読む方は覚悟した方が良い。もしも今、受験勉強の息抜きにこれを読んでいるのであればすぐにスマホを置いて勉強をしよう。君を成長させる要素など1gも含まれていないことは当事者である僕が保証する。
その日は娘の友達が泊まりに来ていた。朝食はあまり手の込んだことはできないので簡単にサンドイッチとウインナーでいいか、と夫婦で決定した。ハムとチーズ、いちごジャムのサンドイッチをそれぞれ用意する。夫婦で協力しながら穏やかな朝の時間が流れていた。
ウインナーは妻が調理を始めた。と言っても、ウインナーなど適当にコロコロしたりお湯に入れたりするだけである。妻が僕に「茹でたほうがいい?焼くだけでいい?」と聞いてきた。僕は「フライパンにちょっと水入れて、初めは茹でながら水を蒸発させてその後焼くのが一番美味しいってなんかで見たけど」と答える。
妻が「めんどくさいから茹でるだけでいい?」と言う。
僕が「それなら最初から聞かなくてよくない?」と答える。
「は?」
「は?」
くだらないゴングが鳴り響く。その後は「ひとり2本じゃ少ねえだろうが」「そんなに水入れたら蒸発するまで何分かかんだクソガキが」など、お互い相手の上げた足をとってやろうと必死になり、キッチンでこそこそ険悪になる我々。
娘の友達が帰ったあとも、収まらない我々の腹の虫は着々と成虫に近づいていき、最終的には「それを言ったのは、あれを言ったあとだ」とか「いっつもその態度だ」など、記憶の弾薬庫を隅から隅まで調べ上げて手持ちの手榴弾を見境なく投げつける泥の沼で、立派に孵化する害虫と相成った。
口論の最中にちょいちょい「そもそもあのウインナーの時にさぁ!!」という言葉が出てきて、頭の中で「ヤバイ、くだらない」という冷静な自分のアナウンスがこだまするが、結局きっかけはきっかけでしかない。戦争はいつだってそのように肥大化していくのだ。すべてのケンカはウインナーに通ず。千里の道もウインナーから。
こうして見ると、我々の世界はなんとくだらないケンカで溢れかえっていることか。しかし、ハインリッヒの法則よろしく300のくだらないケンカの上には29のあんまりくだらなくないケンカがあり、その上には大島渚と野坂昭如がいるのである。日々のくだらないケンカを減らしていけば、我々の生きる世界はもっと朗らかで有意義なものになるだろう。喉元過ぎる前にくだらなさに気が付く賢さがほしい今日この頃である。
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