佐藤仁志
僕が書いた小説をまとめました。頑張ってたくさん増えていくといいなー。
エッセイとは何か。フィクションじゃないほうを集めました。
週イチ小説、ようやく一月の四周目分が終わった笑。 もう三月、時の流れが早い。というか、今回のお話に一ヶ月かかってりゃ、週イチは無理だよなぁ。思ったより長くなっちゃったし。
───男なんてのは、二種類に分けられる。守らない約束をする男か、守れない約束をする男か。 市子が志望校に落ちて滑り止めの私立に入学した年の夏、その男は現れた。 本来ならこんな学校に通うはずじゃなかった、などという傲慢な思い上がりを捨て切れずにいた市子は、その胸のうちをクラスメイトに見透かされたのか、六月になっても一人の友人も出来なかった。もはや孤独は市子のアイデンティティとなりつつあり、孤独ではなく孤高なのだ、と自らを慰撫することで辛うじて春をやり過ごすことができた。
あまり宣言してしまうと挫折しにくいのでこっそり始めていたけれど、やっぱり宣言しておく。 今年の目標は「週一で小説を書く」。 今年書いたものは(1-1・1)などと記載(1月の1週目、一作目ってこと)。 すでに三週遅れ。 「正月は合併号!」という言い訳はすでにできなくなっている。
たとえば、この手。 今、夫の身体を横向きに倒し、支えながらもう一方で尻に付着した便を拭き取るこの手。 週に二度、入浴介助のヘルパーが来る日の他は、毎日温かく湿らせたタオルで夫の首や腋や隠部を拭く、この手。 または、一人暮らしの恋人のためにハンバーグを捏ねるこの手。彼の髪を撫でる時の、この手。 信じられないような多くの役割を持つからこそ、この手には意味があるのだ、と奈緒は思う。恋人の、まだ二十歳になったばかりだと言う彼の手が驚くほど滑らかで、奈緒は思わず手を引っ込
田崎が帰宅した頃、部屋の中は古い写真の中のように暗く、空気が停止したまま、遮光カーテンの隙間から朝日が入り込んでいた。 フローリングの床に置かれた小さな冷蔵庫の唸り声と、浴室の換気扇の音だけが田崎の耳によく届いた。 厚手のダウンジャケットを脱いで玄関脇のポールハンガーにぶら下げる。溶けた雪の雫が数滴、床に落ちて繋がった。 濡れた髪をタオルで拭くと、昨夜、出掛ける前に丁寧にセットしたセンターパートは見る影もなく消え去った。窓枠にハンガーで吊り下げたスウェットズボンに履
睨み合うように顔を向かい合わせているロードマップは、朝露でしっかりと濡れていた。いや、夜露、というべきだろうか。 白い湯気がもうもうと立ち上る魔法瓶を右手に持ち替えて、左手首の腕時計に目をやる。間もなく午前四時になろうとしていた。 真夜中と変わらない暗闇の中で、千紘のヘッドライトがちらちらと忙しなく左右に揺れている。辺りには、千紘と同じように初日の出を山頂で拝もうとする数名がロードマップを見つめていた。 絵で描かれた登山道を指で追いながら確認する年配の夫婦。温かい
八月の暴力から逃れるように閉じ籠った家の中で、村上春樹の『街とその不確かな壁』を読み終えた。一ヶ月ほどかけて。 村上春樹の本を読むようになったのはこの数年のことで、しかも考察とか繰り返し読むとかいうことをしないからいつも内容についてはよくわかっていない、と思う。結局のところ、あの『街』は何のメタファーか、なんてはっきりとはわからない。 それでも村上春樹の本を読むのは、なぜかリラックスできるからだ。 ほとんどの小説を僕は結末に向かって読むし、驚いたり感動したり納得する
目を閉じると、視界の端でみどり色の残像がゆっくりと流れていく。天井から水面を照らす太陽みたいに明るい白色灯を見つめたせいだ。まるで一緒に泳いでいるみたい、と僕はプールの温水に浸りながら、無意識に持ち上がる口角に気が付いた。 背泳ぎは好きだ。耳まで水に沈むと、まわりの音が聞こえなくなる代わりに自分の呼吸がやけに大きく聞こえてきて、ひとりぼっちになったような感じがするのが、特に好きだ。 クロールも平泳ぎも出来ない僕は、ただぽっかりと水に浮かぶことに夢中になった。それから、天
缶コーヒーの代金を支払おうと財布を開いて、ああ、これが千円札だったらな、とレシートの束を見つめながらため息を吐く。点々と灯る街灯だけが優しい夜、店員の間延びした「ありがとおざいやしたあ」と来店のメロディを背中で引き受けながら、俺はゆっくりと空中に散らばっていく白い吐息を見た。 真冬の澄んだ空気は、俺に斉藤の結婚式を思い出させた。いや、正確には二次会だったか。その日に知り合った彼は、友達の友達だった。酒の勢いも手伝って意気投合した彼は俺の財布を見て「自営業なの?」と問いか
ベタを許せるようになったサブカルは、排他的なサブカルを経てベタを許せるサブカルになったことを思い出すべき。カウンターカルチャーである以上、サブカルのアイデンティティはその排他性であったはずだ。
先日、地下街を歩いていたら前を歩いている人のパーカーの背中に「no rescure」と書いてあり、google翻訳にかけてみると「救出しない」と出た。随分思い切った宣言を背負い込んでしまったものである。 そのあとトイレで鏡に映った私のTシャツには「weekend(週末)」と書かれていた。その日は月曜日であった。浮かない顔をして会社へ向かう社会人を尻目に、私は呑気に事実誤認をぶら下げて市街を闊歩していたのだ。彼らの目には私のことが日曜日からの使者に見えていれば嬉しいがそんなわ
二ヶ月くらいで書き終えようと思っていた小説が、半年を過ぎても佳境に差し掛かる気配すらなく三万字を突破してしまった。ある程度、短めの小説を書いてnoteに載せていこうと考えていたのに、あまりの長文はnote向けではないだろうし、どうしたものか。 そもそも、私は小説なんて書ける人間ではなかった。 小さい頃からとにかく計画性がなく、こつこつ積み重ねることが苦手だった私にとって、創作は憧れであった。アキレスと亀のように永遠にたどり着けない完結を目指して走り出すまでは良かったが、空っ
俺が映画研究会に所属して一番笑った先輩の言葉は『人数の釣り合わない合コンには絶対に参加するな』だった。 確かに、周りがくっつき始めてねっとりとした空気が漂うカラオケボックスで、一人米津玄師を熱唱している時なんて悲劇的すぎて泣けてくるもんな。ま、今の俺のことなんだけどさ。 映画研究会、なんていう看板だけ聞けば立派だけど、その実態は青春も情熱も単位も諦めて暇を持て余した大学生が、部室でゲームをするか漫画を読むか、乃木坂46の顔写真を切り取ってヌードモデルと合成するとか、およそ
午後八時、三歳の次女と一緒にお風呂に入ったところ、湯船に浮かぶスプラトゥーンのイカのおもちゃが「ジュワジュワ」と鳴った。それはお湯に沈めて手を離すと泳いでいるように蛇行しながら浮かび上がってくるという物で、我が家の浅く狭い浴槽ではポテンシャルを存分に発揮できていないとでも言いたげに口を尖らせるイカだった。 次女はその音を聞いて「しゃべった」と言う。 浴槽が狭いとか、毛が浮き過ぎてるとかそういうことをイカは言いたかったのかもしれないので僕は耳を傾けたくなかったが、それ
母親というものは、どこもかしこも古今東西津々浦々、キテレツな行動をとるものである。 母親になるとキテレツになるのか、そもそも初めからキテレツなのか。綾小路きみまろを参照すると歳を重ねることで変化していくようだが、きみまろ一人では証言の信憑性に若干の疑問が残るところである。 ひょっとするとだが、母親がキテレツであるためには観察者である自分自身が既にキテレツであり、お互いのキテレツさがお互いのキテレツさを高めていくという相互作用が発揮されているのではないか。つまり「深淵を覗い
〈1〉 月のない夜、憧れのような視線を空に送る。 冷えた空気は鋭く澄んでいるのに星ひとつ見えない。 都会の夜空はいつ見ても寂しいな、と遥は思った。視線を落とすと、星の見えない寂しさを覆い隠すような色とりどりのイルミネーションが目に入り、遥は思わず目を細めた。 等間隔で植えられたイチョウの木は、秋に赤や黄色の葉を落としたあと、今は緩やかに青白い光を纏っている。その不規則な光の中を、遥はコートのポケットに手を入れて歩く。 2年前のセールで買ったアッシュグレーの厚手のコート