【EP6】ターニングポイント
僕はある意味、境遇としてはまだ恵まれている方かもしれない。いくら発達に迷惑をかけられても、事業者は最終的にそれをクビにすればいいだけの話である。あいにく日本はそう簡単に被雇用者を解雇できるような土壌ではないが、それでも発達が生む現実的な損失を思えば、彼らを解雇して事業や他の社員を守るというのが経営者として一つの賢い選択かもしれない。
形はどうあれ最終的には僕も彼と円満に契約を打ち切った。しかし、その決断を下すころには抑うつ的になっており切迫した状況であった。今もまだその後遺症に苦しめられている。
ここまで自分を追い詰めてしまったのは、それでも「何とかできるはずだ」という根拠のない期待があったからかもしれない。彼のせいとは思わない。これは経営者としての自分の判断ミス、あるいは甘さだったと受け止めるようにしている。もちろん、今だからこそそう思えるのである。
この経験によって僕が学んだ重大なことは、「自分ではどうしようもないこともある」ということだった。
病気や事故、天災、あるいは犯罪被害など、不可抗力的に訪れる災難や不運は、確かに人にはどうしようもないことである。しかし、人間関係や仕事、特に教育において僕はこれまで「部下を決して見放さないのが上司の務め」だと信じてきた。どんなに無能であったり未熟であったりしても、一端の教育を施せば部下を立派な人材に育てられるものだと、頑なに信じてきたのである。もしそれができないのなら、その上司には教育者としての資質がないのだとさえ思っていた。
しかしどうやら、僕のその考え方は間違っていたようだ。世の中には不毛な教育もある。
僕の立場は、明快なようで実は意外と複雑だ。事業者としての立場からすれば、事業利益に貢献せず、あまつさえ恒常的な損害まで生む人材というのは解雇するのが一つの社会正義だと思っている。しかし、上司つまり教育者として部下を見限るのは、僕は人としての道理に反するものだと思うのだ。
経営者か上司か、それとも兄か。彼からすれば重要でないかもしれないが、僕としてはどの目線で彼を見るかによって、重視するべき点が変わってくるのだ。そして結局僕が選択したのは、兄としての目線であった。
それが正しかったのか間違っていたのかはよく分からない。ただ少なくとも、損得勘定ではなく一人の人間として彼と向き合おうとした自分を誇らしく思う。同時にそれが、自分自身や事業、ひいては家族を危険にさらす無責任な選択であったとも感じている。なぜなら彼に肩入れして事業成績を下げ、それが生活にまで影響するとなれば、僕の家族まで間接的に被害を受けるのだから。僕が心を病めばそれこそ深刻な家庭問題だろうし、最悪の場合、僕の家族まで二次的三次的カサンドラ症候群に陥る可能性すらある。
最終的に妻は、僕にこう告げた。
「今のあなたは痛々しくてとても見ていられない。彼にきっぱり見切りをつけるのは何も悪いことじゃないよ。よくやったよ。共倒れになったら今までの努力も全部意味がないでしょ?」
この言葉に背中を押される形で、僕はようやく現状に見切りをつけて彼に契約解除を言い渡したのだった。
彼女のこの言葉がなかったとしても、遅かれ早かれ同じ結末にはなっていただろう。ただ、もう少し時期が遅かったら、僕自身が今よりももっと深刻な状態になっていたかもしれない。
当時を振り返ると、発達障害がいかに深刻で、周りを不幸にするものなのか戦慄を覚える。結局、教育や譲歩ではどうにもならない問題もあるということだ。事実、彼と仕事を共にするようになってからちょうど一年後、彼がそれこそ一年前からまるで何も進歩せず成長もしていない現実を目の当たりにして、僕は愕然とした。
「人とはここまで変わらないものか……!?」──と。
目の当たりにしたその残酷な現実は、僕にとって受け入れ難いものだった。人間ではなく虫や小動物、もしかすると宇宙人を相手に不毛な教育を施してきたのではないかという錯覚に陥った僕は、その瞬間にこの一年という時間、労力、苦悩、投資、そのすべてをドブに捨てているだけだったことを知ったのである。
この時の心境は、筆舌に尽くしがたい。加えてちょうどこの時、彼の虚偽の業務報告が続々と発覚し、事業所の不正利用まで発覚したのであった。彼は自分が成長しているように見せかけるため僕に偽りの成果報告を続け、さらには責任者である僕を欺き、事業所を不正利用までしてきたのである。
今思い返しても、はわらたが煮えくり返る思いだ。こんなことは、本当ならあってはならない。社会人として以前に一人の人間として。僕の誠意や覚悟は、このときすべて無残に踏み躙られ、後にはボロ雑巾のように惨めな自分の姿が残るだけだった。
ただでさえ追い詰められていた僕は、その現実に絶望すらした。あらゆることが発覚したとき、目の前の景色がグニャーッと歪んだのを覚えている。
僕には、彼の心を傷つけまいと「あ、そう。大丈夫よ」と、まるで気にもしていないように振る舞うのが精一杯であった。取り乱して怒るべきだったろうか? いや、その怒りすら不毛であると、このころの僕はすでに知っていたのだ。僕が彼に契約解除を言い渡したのはこの直後であった。
解説)
今になって読み返してみると、当時の自分の被害者意識の強さが伺えます。もし私が第三者なら、この文章を読んで「確かに特性もあるかもしれないが、事業責任のすべてはあなたにあるものです」と言うでしょう。これが社会通念上の常識ですし、当時もそれを頭ではわかっていたはずです。しかしそれでもこみ上げる理不尽な虚しさややるせなさ。自分を責め続けて「いややっぱりこれはおかしい、自分は被害者ではないか!」と発達特性の理不尽さに気付いてしまった時の気持ちは今も忘れません。
介護に近かったと思います。
そして私は「発達障害者とは金輪際かかわりたくない」と思うようになりました。
あれから少し時間がたち、私は理想的な解決とは程遠かったこの問題と、もう一度向き合いたいと思っています。
当時の私なら「絶対にやめろ」と今の私に言うでしょうね。
どうして再び向き合おうとしているのか?
自分でもよくわかりませんが、おそらく発達当事者に悪意がなく、そして彼らも苦しんでいるという現実を知ったからなのかなと思います。
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