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「就活のために院進した」と語る彼へ
※これは修論執筆の合間に書き殴った文章です。お手柔らかに・・・
情報整理:「就活のために院進した」とは
先日、某Big4のインターンシップに参加した。
6名程度の学生がチームとなり、丸一日かけて「業務体験」としてワークを行なうものだ。
このインターンシップは選考中に位置づけられているため、チームには若手社員が付く。
社員はワークには一切関与せず、ただひたすら学生の一挙手一投足を観察する。
そのインターンシップの、お昼休みのことだった。
私たちは若手社員も交えて高級そうな肉料理の弁当を囲み、お互いの話をした。
伺ったところ、私のチームは6名中4名が大学院生だった。
一人ずつ大学院の生活や部活の話になった時だった。
「俺大学院は就活のために進んだんスよね。学部4年間はアメフト部に打ち込んで、それだと就活できなかったから大学院に入って。で、今就活っていう感じッス。」
彼は東京一工の学生で、学部からストレートで大学院に進学したそうだ。
詳細はこのあたりにしておくが、話を聞く限り研究するつもりはさらさらなく、現在大手企業の就活に邁進している、いわゆる「就活ガチ勢」の様子だった。
就活という商品棚に置かれる私たち=「商品」?
自身の就活について語る彼を、あの若手社員はどう見ていたのだろう。
共感だろうか、それとも研究の道に進みながら研究に取り組んでいないことに違和感を覚えるだろうか。
誠に勝手ながら私は彼を見て、「特権的だ」と思ってしまった。教育格差を考える者として、ここにある教育機会格差の上流を見ない訳にはいかなかった。(勿論ここに至るまでに彼の中でものすごい努力と葛藤があった可能性については考慮に入れたい)
今の日本の就活マジョリティは、大学を卒業した瞬間に切れ目無く入社することがテーゼである。
よって、就職先が決まるまで、私たち学生は「未社会人」であり、はやく「社会人」にならなければいけないという観念に囚われる。
さらに、主体的なキャリア選択を求めるマインドセットが広がり(それ自体はかなり肯定的です)、
「様々な自分の願い」を実現できる”御社”に入社することが最も良いこととされる。
どんなに専門の勉強が楽しくても、趣味が自身の血肉になっていると感じても、それが「未社会人」を脱して「良い新卒社会人」になるための薬にならない限りは不要と感じてしまう。
彼にとっては体育会系に最後まで打ち込むこと、そして院卒という箔を得ることが薬だったのだろう。
そして今彼は大学院における研究は薬ではなかった。
他人がどこに出費しようが構わない姿勢だったが、私自身が院進するまでにかかった苦労(試験対策、両親への説得、生活費等)を考えると、モヤモヤしてしまった。
書きぶりが複雑になってしまったが、端的に述べると、「大学院って就活の時間稼ぎじゃないよね」です。
いつか、就活が「大学・大学院の必修単位取得後」解禁になったらいいのになあとか思ってます。
(時間がなくなってしまい、最後まで考えきることができなかったので、これは就活が終ったら改めて考えよう)
おしまい