「早く終ってくれ」と「まだ終らないで」の狭間にて
最近、というよりもはや5ヶ月ほど、
苦しいという感情と付き合っています。
進路が人と同じタイミングで決まらなくて苦しい
自分の願いと就活との結合点が見つからなくて苦しい
社会に受け入れられていない感じがして苦しい
やるべきことが頭から離れず余暇を楽しめなくて苦しい
10月の私は、内定を頂けたら卒業したいけど、頂けないかもしれないから次年度の選考も受けようという気持ちでした。
とにかく自分の次なる居場所を探す感じ。
それが11月になると、1つ内定を頂くことが叶い、次年度の選考を受けることはなくなりました。
そして同時に修論のタイムリミットが始まりました。
1月上旬に修論を提出し、その内容が教授陣に認められないと修了できないからです。
私は実務系の学部から「研究」をしたくて研究系の大学院に行ったため、修論は自分が本当に取り組みたいものでした。
気付けば修論の締め切りまで1ヶ月半ほど。
修論の現状は当然人にお見せできるものではなく、焦りしかない状態です。
時間に囚われずもっと研究に没頭したい、というのはニートのような甘えなのかもしれない。
でも、もう時間との闘いをするしかない状況が、とてももどかしい。
なんとなく、本当になんとなくの感情だけど、
教授が面白がってくれる修論は書けない。
何より、自分が満足する修論は書けないかもしれない。
同時に、御社からの評価にさらされる時間が1年以上続く疲労感も、もう終わりにしたい。
過去の挫折的な感情とも、多分まだ折り合いがつききっていない。
でも、自分のペースで考えている時間もない。
就活も修論も、
やらなくちゃ>やりたい、になっていることが非常に苦しいのです。
なんとか、やりたい>やらなくちゃにするために、息切れしています。
本当は息切れなんてしたくない。酸素をくれ。
なぜこんなことを考えているのか
先日、某社の3度目の面接がありました。
初めて事前に面接される方の役職(かなり高い)を知らされていて、
選考を受ける前の面談では「11月中に内定がでるスケジュールです」と伝えられていたため、きっとこれが最後の面接になるだろうと思って準備してきました。
行ってみたら、面接の前後に「もし今回の面接が通過すれば、次は誰々と面接していただきます。」という説明を受けました。
きっと自分は当落ライン上にいるんだろうな、と少し自信を無くしそうになっています。
某社から選考のご連絡をいただいてから、新品の炭酸ペットボトルのようにわくわくしていたけれど、
少しずつ不安になって、時間が経って、
炭酸が抜けた水になりそうな気持ち。
あと少し、頑張ります。