看護師の辞め方(私の場合)

看護師って人手不足でやめられないよ、辞めるなんてそんなこと言えないよ、師長が怖いよ、てか、誰に言えばいい?


毎日外食かコンビニ飯だよ、日勤は21時帰りだよ。


掃除機は1年かけてないよ。


掃除しないせいか一生副鼻腔炎だよ

洗濯は干せないから乾燥機かけてるよ

おかげで買っても買っても服がない




なんだったら胃も痛いし、



抜け毛が手に絡みついて呪いのようにまとわりつく


看護の勉強をしようとしたら職場の嫌な記憶が蘇るよ、



教育担当が根拠を聞いてきたよ、ミルク量の考え方が違って詰められて、報告終わった途端トイレに駆け込んで泣いた、恥ずかしくてたまらなかったよ


当時の私はこんな感じ。


今思い出しただけで 頭の中がぐわ〜っとなった。


もう9年前か

看護記録は3年保存だから私の記録はきっとどこにも残ってないな

記憶が薄れて怖さが伝わりにくい書き方しかできないのが悔しい


病院の寮に入ってひとりぐらしもままならず、絶望の淵にいた。

もう、思い出せない部分もあるんだけど(日にち薬だね)


休みの日は9割方泣いてた。


号泣レベルで。椎名林檎カバーの翳りゆく部屋を一生聴いてた



教育担当に「なんで、できないの?」と詰められた同期が職場で泣いたのを聞き、次は私か、と処刑される日を怯えながら待った。
(無事処刑され死亡)



いつ仕事に行けなくなるだろう、そうなったら恥ずかしい、仕事に行くのがもう無理、仕事を辞めたい、


しょうがない、何かできることをしないと、と思って言い聞かせようとしても行動が伴わない。落ち込む、そのせいで泣く、怯えながら出勤日を待つ、


こんなこと書いてたら夢に出そうでやだな〜と思いながら歯を食いしばってかく(昨日は夢に出なくて良かった)


きっと誰かのなぐさみものくらいにはなるからさ


本当、忘れていた嫌なことを思い出すってメリットないね。


長くなったけど、辞めるまでの道のりをざっくり書くと秋頃にある意向調査の紙に辞めますに丸を入れて看護部長室から電話が来る。部長室で面談して辞める時期を言った、こんな感じだったように思う。


ざっくり言うとこんな感じ。一生忘れない、と思ってたのにもう忘れてらァ。


サラッと書いてるけどその前に師長(見た目が極妻)に根回しをしなければいけなかったのだ


私は辞めます、と。辞める1年前から師長に言うくらい気ぃ遣いだった。


いつ言おう、今か?いや、師長補佐にバレる、、、怖い、、、を毎日毎日繰り返して言えなくて不安になってまた眠る、を繰り返した。



余談だけど、教育担当は他の人から見ると人格者で、一緒の勤務に当たったらラッキーな存在らしい。私は、そんなこと一度も思ったことなくて地獄だった。




看護師あるある、勤務表で夜勤の地獄の組み合わせがないか血眼になって探す


教育担当から逃げたいがために


教育担当から出された課題が進まない、私にだけ明らか態度が違う、明らかにアラを探してくる、詰めてくる、どうしていいかわからなくなる


ストレスで溺れていた時に終われる場所を探すかのように辿り着いてかかった精神科では休職相当です、と

診断書書きます、と初診で言われたのが印象的だった。

(今思うと初診で診断書出すものなのか?それともそんなにヤバかったのか?)


休職することが怖くて

周りからなんて思われるんだろう、休職なんかしたら、生きていける気がしない、そんなくらいなら働けるうちに辞めたい、このままだと死んでしまう、


「考えます。」と言って、その精神科にはかからなくなった。



一年後くらいに眠れなくなって結局、別の精神科にかかるのだけど

そしてまだ気力があるうちに師長への根回しは無事に済んで、意向調査のA4用紙には辞めるか悩んでいる、に丸を入れることができた。(部長室での面談対象になる。)

命からがら逃げてきた



申し訳ない、私が辞めたら職場が回らないかもしれない、そんなことを真剣に考えながら蟻地獄のぬかるみにはまって眠りが遠のいていった。


教育担当への恐れと怒りと悔しさと自分への情けなさで中毒で狂ったかのように感情が灰になっていくのを眺めていた。


霧になっていく記憶とこれからも共にある。


1年後は今日書いたことと違うこと言ってるかもしれない、人間なんてそんなもの、


湾曲していく脳細胞と今日も生きていく。



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